降り始めた雨から
降り始めた雨から逃げるように蔵前駅に潜り込んで快特成田行き。
さっき、日没後の立石を通り過ぎた。
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降り始めた雨から逃げるように蔵前駅に潜り込んで快特成田行き。
さっき、日没後の立石を通り過ぎた。
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FUJICA Drive用の22.5mm径フィルター、秋葉原や中野や四谷荒木町ではなくeBayで渉猟した結果、送料無料だという
ギリシャの出品をポチった。
のんびり構えていたら翌日にはShippingのメール、そこに記されていたELTAという運送会社のサイトでトラッキングID
を入力したところ、空港で"ITEMS IN PACKING"というステータス。思いもよらず追跡が利きそうで些か驚いている。
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東船橋病院で、都合四十分かけて脳波検査。
結果を検査技師に尋ねるも、「医師ではないので『そんなに酷くはない』としか言えないんです」と。
最後の五分間の強い明滅光に対する反応波形がやはり通常人のそれとは異なっているらしいのだが、
来月第二土曜の主治医診断まで急を要する状態ではなかろうとのこと。
何だか腑に落ちたような落ちないような心持ちを抱えたまま、遅れてやって来たバスに乗って初めて
終点高根公団駅前まで。いつぞや見たGoogleMapsストリート・ビューでは駅前そばに建ち並んでいた
ポイントハウス群は見当たらず、跡地と思しき草に覆われたお台場みたいな段々があるのみだった。
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On June 24th
FUJICA Drive and FUJICOLOR(業)記録用カラーフィルム ISO 100,
scanned with OpticFilm 8200i Ai (on SilverFast Ai Studio 8.5.0 r5)
一昨日、一、二分ほどの間、二年前の重責痙攣発作再発を疑わせるような現象に見舞われた。
寝入りばななどに伸びをするときに起きる左足の痙攣が、そこだけに留まらず左腕の方まで上ってこようとする一方、
枕に置いたアタマの中が、前後にざぁーっ、ざぁーっとヘッドバンキングしているようだった。
それに加え、胸が押さえつけられたように呼吸ができない状態…そこだけ切り取れば、たまに経験する金縛りの類い。
実際、息をしようともがくうち、ふっと楽になった。
二年前のときは、すぅーっと前後不覚になっていったところまでしか記憶にない。病院で一旦目覚め再び気を失った後
丸二日間全身痙攣していたということだったから、一昨日はそのまま眠りに就いた…というか眠りに落ちた。
もしもそのとき、思い切って東船橋病院に救急搬送されていたなら、ER担当の主治医の診断が仰げていたのだろう。
きのう目覚めると頭が張るように重たく、左足は先週来の痙攣気味で覚束ない。そこで外来の門を敲いた。事前に確認
したところ、やはり僕の主治医は外来診療を行わなず、初めて相見える医師の見立て。
病歴の問診や触診による腱や筋肉の反射から、その疑いは拭えないが、脳波をとってみないことには何ともとのこと。
検査日は最早で金曜夕刻。
帰りの北習志野行きバスまで三十分ほど間があった。再入院の可能性も想定してバッグに携行してきた諸々の中には
デジタルカメラではなくFUJICA Driveと24枚撮りフィルムが入っていた。三週間前に新妻と戯れた団地に目を向けると
ポイントハウス・ヴァレーの棟々は、予想に反しクリストクリムトの梱包芸術のようにはなっておらず、あのとき見かけた屋上の
フェンスの殆どが取り払われ、その代わりに庇の上縁に金属のモールのような部材が取り付けられているように見え、
屋上で立ち働くおじさんやお兄さんたちを何人も見かけた。
エンドで巻き上がらなくなってリワインドボタンを押すとゼンマイの余力でスプロケが空回りし、再びシャッター・チャージ
状態になるらしく、ボタンが復帰する。そこで最初はリワインドボタン押しっぱなしで巻き戻しクランクを回し始めるべき。
というか、そうしないとスプロケがパーフォレションをがりがり引っ掻く音がするばかりで、きっとよくないことが起きる。
今回は、パーフォレションを引き裂くヘマやフィルムそのものの破断はやらかさなかった。
シェイクダウン直後、適正露光を示す値まで針が上がっていかないように見えたメーターを途中で見限り、f5.6~11、
1/300秒を基準にしたマニュアル撮影に切り換えたが、最後の方に来て温まったせいか、オートでも明るい光に針が
反応するようになっていた。
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発注から十日ほど経って届いた三代目魔法の杖の突きおろしは東船橋病院への通院。今回のはソリッドで全くガタツキなし。
明後日夕刻に検査のため再来院となったが、帰りのバス待ちついでに、ちゃっちゃとFUJICA Drive撮りおろし。
カウンターでは50コマまで進んだが果たして?
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19:47 on June 22nd
f4, 1/30, ISO 1600, Nikon Df and Micro-Nikkor-P.C. Auto 55mm F3.5
FUJICA Driveのフィルター径は28.5mmだと思い込んでいたが、あれやこれやをググっていたらば、複数のサイトで、
フィルター径は22.5mmと記載されているのを見つけた。
現物に定規を当ててみたところ、どうやらソレが正解らしい。
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FUJICA Drive with Original Handstrap
19:38 on June 21st
f5.6, 1/60, ISO 800, Nikon Df and Micro-Nikkor-P.C. Auto 55mm F3.5
中日の週末、高山写真館で、僕の写真が掛けられている壁面と対面のガラスショーケースのコレを見初め一目惚れ。
¥3.2kの値札に「セルフタイマー故障」と書いてあるのはそのとおりだが、セレン露出計が生きているか否かは判らず。
ただし、絞りもシャッターも別個に設定できるマニュアル露出が可能で、1/30はちゃんと切れているらしく、レンズと目測
ファインダーに特に汚れ・キズ等はなく、スプリングチャージ・シャッター・巻上げが動作することを確かめ、棚に戻した。
写真を見に来てくれた友だちと語らい飲み食いして帰宅した後、このカメラの素性を調べ、先達Y氏の意見も確かめた
上で、日曜遅めの昼下がり、引取りを主目的に高山写真館を訪れた。
カメラを確保、前夜俄仕込みの知識を基にシャッターを押込んでメーターが作動することを確かめ、嵌りそうな同時代の
軟質樹脂レンズキャップや28.5mm径らしいフィルターを物色する合間に、H社長や何組かのお客さんから、掛けてある
写真について尋ねられ、有難く感じながら会話を楽しんだ。
キャップもフィルターも結局見つからなかったが、愛用のFUJICOLOR(業)記録用カラーフィルム ISO 100の24枚撮りを
試写用に一本。とりあえずシェイクダウンは、「オート」(原始的プログラムAE)で撮ってみるつもり。
シアワセなファインダー覗きながらの撮影をある程度満喫すると、時としてこういったカメラによるお気軽な手探り撮影
を楽しみたくなる。
新妻には何の不満もなく、これは浮気である。…念のため、もちろん実生活のことじゃなくて、あくまでメタファーだから
ですよ。こんなことがサラッと平気で書けるのは笑。
冒頭でリンクを貼った、機種・レストア等紹介記事の作例の光景が、筑豊は田川市界隈であることが奇遇で嬉しい。
昭和初期以来進められた一ノ岳石灰岩採掘の挙げ句、名もなき双子山のように紹介されている香春岳はさておき、
二宮尊徳像の方は、四十年前に僕が通っていた後藤寺小学校の正門脇のものらしい。
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今回は三題投稿したけれど、またもや着信御礼ならず。ざんねん。…てゆーか、笑うゆとりがなくなるな。
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きのうに引き続き、タワーネタ二連投。…誕生日に相応しい笑
アクセス解析ログ(足あと)を辿ってみたところ、Yahoo! 検索から誰かさんが「変わった 東京タワー」というキーワードで、
このblogの「東京タワー 形変わった - Yahoo! 検索」という記事を見に来て下さっていたことが判った。
今回の検索結果の中には、2004年暮れに気になりだし、三年余り経てようやく判明した「大展望台白塗り事件」の年を
明確に記した「公文書」があった。
2008年12月発行のこのパンフレットもあるいは、同年春発売の「東京タワー物語」制作サイドから得た情報を下敷きに
しているのかも知れない。
・東京タワーと昭和のくらし - 港区立港郷土資料館へ行ってみよう!第6号(Adobe PDF)
東京タワーの移り変わり
「現在の東京タワーはどれ?」の答え
① 昭和35(1960)年頃 ② 平成4(1992)年 答え ③ 平成20(2008)年
・昭和42年に作業台が特別展望台になり、お客さんが入れるようになりました。
・昭和61年に赤白の塗りわけが11等分から7等分になりました。
・平成8年に大展望台の色が赤色から白色へ塗り替えられました。
・平成14年、特別展望台の上にデジタル放送用の筒型アンテナが設置されました。
ほーら、昭和六十一年航空法改正による赤白七等分塗り分けの後、十年もの間赤かったんじゃないか、大展望台。
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アクセス解析ログ(足あと)を辿ってみたところ、Yahoo! 画像検索から誰かさんが、「東京タワー形」というキーワードで、
このblogの「東京タワー 形の変化 - Yahoo! 検索」という記事を見に来て下さっていたことが判った。
これは、上記記事中引用した「60年代、僕らの東京タワー」に掲載されている当時の絵葉書のスクリーンショットだが、
やはり惚れ惚れしてしまう。赤い大展望台と、ひたすらにスリムに尖りながら伸びゆく先端部。
この記事でも僕は性懲りもなく、「現航空法に則った赤白部分の塗り分け七等分のまま、大展望台は赤く塗って欲しい」
という旨を訴えたが…
・東京タワー麓、赤羽橋から今年最後に東京タワーの雄姿形を (12月21日) - 都市写真東京・スカイツリー
仮設足場の変化は今年中はないとの確信のもと、快晴の東京タワーの雄姿を!、5年に一度のペンキ塗装も間もなく終了で、ピカピカの明るい東京タワーですね~、
…という2013年暮れの状況からすると、あと三年以上は我慢しないといけないようだ。…って、我慢したところでどうなる
ものでもないだろうが。
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アクセス解析ログ(足あと)を辿ってみたところ、Yahoo! 検索から誰かさんが、「古地形図 津田沼」というキーワードで、
このblogの「谷津 庄司池 - Yahoo! 検索」という記事を見に来て下さっていたことが判った。
記事中で参照したブログ「津田沼周辺の古地形図 - 日々の雑学」とその引用文が検索キーワードに引っ掛かった
塩梅だが、そこからさほど深掘りせずとも、貴重な情報へのリンク先を発見した。
■ 過去、千葉県に大きな津波被害をもたらした1677年延宝地震(H18年度作成)、1703年元禄地震(H23年度作成)及び平成25年3月に運用が予定されている気象庁の新しい津波警報レベルに合わせた津波避難のための津波浸水予測図(H23年度)を作成しています。
■ いざ地震、津波が発生した場合、津波避難行動を起こすために必要な情報は気象庁が発表する津波警報です。津波避難のための津波浸水予測図は、県民等の皆様が気象庁から発表される津波警報の情報を、安全で的確な津波避難行動に繋げていただくことを目的に作成したもので、あくまで津波避難のための基礎資料です。
津波避難のための津波浸水予測図
○ 津波予報区 「千葉県九十九里・外房、千葉県内房」
・ 津波高3m(概ね1~3m)=津波警報3m
・ 津波高5m(概ね3m~5m)=大津波警報5m
・ 津波高10m(概ね7m~10m)=大津波警報10m
○ 津波予報区 「東京湾内湾」
・ 東京湾口(房総半島洲崎)で約10m=津波警報3m
…とある中の、「東京湾内湾」「東京湾口で10m」の場合の船橋市・習志野市域の津波浸水予想図がコレ。
船橋漁港から海老川を遡上した津波で船橋駅一帯の低地が水浸しになるだろうというのは想像がつくが、下の50cm
ピッチの地盤高図に切り換えると、コレでもごくごく控えめな予想図なのだろうと思わざるを得ない。もちろん、上で引用
した部分よりも後段で、そういう旨の記述がある。
貼り付けた地図画像の中央付近、海抜10m以下を示す黄色い低地は、百年前まで存在した庄司ケ池跡。四年半前
切り崩された与兵衛弁天のあった出島跡も、この地図ではまだ比高数mの高みとして記憶されている。
細い筋に窄まりながら北東方向へ遡る黄色い低地は、かつて池に注いでいた流れを表し、総武本線と車庫引込み線
の土手を表す二股の細い高みを越えた地点が、マエバラニシノハテだ。
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今夜の「世界ふれあい街歩き」はどこだろう?…とBSつけたら「ダイハード4」だった。
TV放映のしかも吹き替え版とはいえ、このシリーズを初めて通しで見た。
てゆーか、ハリウッド映画自体が久しぶりだった。
おそらく倫理コードの関係だろう、人の死に様も、マクレーンの痛め付けられ方もあっさりと描かれていた。
一方、八年前の映画にも関わらず、コンピューター・ハッキングやハッカーたちの描写には、僕の先入観とあまり
違和感はなかった。二十年以上も前の「スニーカーズ」とか「MI-2」とかでは、この辺りにかなり無理があったよう
な記憶があるし、そもそも当方に、サイバー空間との接点が皆無に等しかった。
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奇跡的なキンコンダッシュと快特成田空港行きのおかげで、ジャスト19時に高山写真館入り。
閉店間際の案外と立て込んだ店内でタグを貼り替え、M店長とYさんのおかげで全て掛け終えた。
いよいよ明後日から写真展ですよ!…まだ信じられない気分だけれど。
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13:52 on June 13th
f5.6, 1/20, ISO 400, Nikon Df with Ai Nikkor 28mm F2.8S and 52mm L37c Filter
…タグは貼り直さナイト。
予定していた13時前に戻ってきて作業の続きを始めた途端、コレでは写真を掛ける際の並び順の目安にしかならない
ことを思い知ったが、三階使用刻限の15時まで一時間弱を残して、やっつけで19枚貼り終え散髪遠征へ。
目の前で総武快速に逃げられ、各停に揺られ飯田橋まで。久しぶりに履くClarks Wallabee Raceの履き口は、やはり
左外側の踝に当たる。前へ振り出した右足重心を体幹を維持しつつ前方へ移す際、骨盤ごと左足を持ち上げながら
左足指をばねのように効かせて撓らせ前方に踏み出し踵から着地するという、最近調子がよいときの歩行フォームで
歩くと当たらなくなることに気づいたが、今度は足爪が伸びすぎているのを放置してきたツケが回って爪先が痛い。
飯田橋で乗った有楽町線和光市行きは、小竹向原手前のトンネルで停止し、意味不明の時間調整の後ホームに滑り
込んだ。電車から降りると、以前から役立たずの西武線直通電車の発車時刻案内が15分後などというありえない表示
になっている。面妖な気分で佇んでいると、何やら聴き取り難いアナウンスが。イヤホンを外して再アナウンスを待つも
音沙汰なく、十分ほどしてようやく、椎名町で人身事故があり西武池袋線運転見合わせ、したがって小竹からの直通も
打ち切り、西武線に乗りたい方は池袋まで戻って運転再開を待たれよ…という不条理な案内。ここに至り、SPICULEへ
電話を入れ、予約を日曜午前に変更した。
とんぼ返りの前に、高円寺アフタービートでパイロット版ラジオドラマを朝まで収録した帰りの緊急事態以来、二十数年
ぶりにこの駅のトイレへ。もちろん、昔の営団地下鉄のトイレではなくなってた。
その後、改札内の自販機に「シンビーノ ジャワティ・ストレート」を見つけ、これも十年ぶりくらいに飲み干す。…こんなに
渋いお紅茶みたいだったかしら?
飯田橋の改札で駅員にSuicaを渡し斯く斯く云々と説明したところ、運転中止により有楽町線利用運賃はチャラになり、
手渡された精算券で改札を出ることができた。
飯田橋からの総武各停は水道橋で、四十年ぶりに北九州から東京を訪れたという年配の男性から「次で降りるきに」
と席を譲られた。僕の隣りの女性も立ってくれたので、土産物袋を抱えたその男性は「せっかくやき」と僕の隣りに再び
腰を下ろした。「僕は小学生の頃、二年ほど田川におったんですよ…」と短い会話を交わしている間に電車は御茶ノ水
に着き、男性は奥さんと連れ立って、東京行き快速電車に乗り換えていった。
ぶらり北通り始まりのパルコへ渡る横断歩道で、若い女子が「あそうだ、パルるっコにジーユーあるよ」と巻き舌で喋る
のを耳にした。
処方箋を預けておいた薬局でクスリを受け取ったのが17時30分。そこから駅前へ戻ってバスに乗るよりはと思い立ち、
自宅まで歩き通した。約二十分かかった。
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朝イチで高山写真館へ。
あすまで写真を掛けている方は自前の額を持ち込んでいるため、ひと足先に、空いている貸出し用の額に
額装させていただいた。初めて三階へ階段で上がり、一時間強の作業で19枚を額に収めて一旦引き上げ、
駅前クリニックへ。
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Gmailの迷惑メールフォルダのメール数が久々の二桁台。
その殆どは、このところ毎日のように届く「Tアンケートメール」だった。
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月曜朝のことだったろうか?錦糸町のエレベーターを降りたところで、背後からカタコト日本語で話しかけられた。
「スミマセーン。ソノ…ツエ、ドコデ、カイマシタカ?」
声の主である欧米人らしき年配の夫婦連れの男性に向き直り
「んー…、ぇアまずん」と、最初の音にアクセントつけた当てずっぽうの発音で答えたが通じた。
「ティーグリップ、モントベル…」と商品名を復唱する彼に
「Two types available.This is a slender one.」と付け足しておいたが、モントベルじゃなくてモンベルだと訂正する
のは忘れた。
あれから数日経ち、正しくは「ぇあメイずん」とかだったらハズカシイなと思って調べてみたら æməzὰn, ‐zn|‐zn/
らしいので、大体合っていたようだ。アクセントはハズしてしまったが笑
ついでに、石突きのラバーブーツは減っていないが長さをアジャストする部分がバカになり始めてきたので発注した。
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「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」は曲数少なく、きのうの帰途であっさり終了し、続くは「夢で逢えたら」、
またキンモクセイだ笑。大瀧詠一カバーのほかにボーナストラックの多いこのシングルが今朝終わると次は
「和幸:ゴールデン・ヒッツ」。亡くなった前後の一時期遠ざけてきた加藤和彦を再認識したアルバム。
「ジ・アルフィーではない」坂崎幸之助に対しても、初めて親近感を抱かせてくれた。
てゆーか、文字コード順じゃなくて読み仮名の五十音順でソートしてるSONY様ってば、スゴい。
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キンモクセイメドレーは今朝の錦糸町ストームととももに終わり、「矢野顕子、忌野清志郎を歌う」に。
久しぶりに通しでじっくり聴こう。
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今朝、「ベスト・コンディション~kinmokusei single collection Disc2」が終わると続いて「ベリッシマ」。
繰返し聴き込もうか…と思いかけたが、暫くこのまま、アルバム名順に聴いてみようと思い直してたらば、
次は「僕の行方」、その次は「むすんでひらいて」…キンモクセイメドレーに戻ったでござる笑
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まるで昭和の成人映画のようなタイトルを思いついてしまったが、後悔はしていない。だって、四週間ぶりの新妻を、
初めて団地へ連れてったんだもの。その前のときはジャミラだったんだから。
ポイントハウス・ヴァレーに並び建つ全ての棟の最上階の庇の上に、ネット付きの低いフェンスが設けられているのが
気になりながら、ヴァレーの果てのその先に足を踏み入れると、鮮魚店が結界のように佇んでいた。高根台団地誕生と
期を同じくして商売を始めたのか、それともそれ以前から店を構えているのかは分からないが、団地同様、半世紀以上
の歳月を経た貌であるらしいことが、慶事を表す言葉を浮き文字で連ねた見事に時代がかった看板から見て取れる。
団地と外界との堺に沿ってヴァレーからフロンティア・ラインへ向かう結構な急坂を上り詰めた辺りで、いかにも結界に
お似合いの痛車を見かける。その先で奈落へと落ちゆく道から左へ分かれて右手の公園沿いにやや下ると、そこは、
再開発された街区と遺された一列群のポイントハウスとが向かい合うフロンティア・ライン。…それらが織り成す光景や
コントラストは、二ヶ月前から何ら変わっていないように見えた。
団地内をショートカットして駐車場へ戻る途中、再びヴァレー付近に差し掛かると、幾つかのポイントハウスの屋上から
電動工具が短く回る音や、何かを吹き付けるようなエアーかブロワーの音が、何度か降ってきた。フロンティア・ラインと
比べ空き家が多く、経年劣化も進んでいるように見受けられるヴァレーのポイントハウス群。とりあえず、屋上の防水や
モルタル等の補修工事ではないかと踏んでいるが、来月の通院後に訪れた際、棟全体がネットと足場で覆われていて
度肝を抜かす…なんてことがないよう祈りたい。
東船橋病院への道行きに際してマツコネカーナビは、高根鬼門へ至るルートではなく、郷土資料館前で曲がるよう案内
した。帰途、撮り終えたネガを現像に出すべく高山写真館へ向かう途中、企業局先のGSに立ち寄り人生四度目の台詞
「軽油満タンで…」を。今回は471kmで28.8L給油したので、16.35km/L。先週末とその二週前、二度のC2走行が効いて
るのだろう。
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マツダさんのマツダコネクトは、二十八年ぶりのWALKMANとコネクトできた。とりあえずのところは。
最初は専用ケーブルでUSBポートに接続。呆気なく認識されたものの、マツコネディスプレイには「Unknown Album」など
数個のフォルダしか表示されず、プリインストールされたサンプルミュージックが勝手に流れ出す始末。
だからといって、プレイヤーの方で操作しようにもPC接続時と同じく一切の操作を受け付けず、さらに呆気に取られる。
次いでAUX端子に接続。もちろん普通に楽曲が流れ、プレイヤー操作も通常どおり可能だが、本体音量を30まで上げて
も、スピーカーから聴こえてくるのは遠慮がちにくぐもった音。インピーダンスの高いaudio-technicaケーブルとアナログ・
アンプとの相性が良くないのだろうか。先代のCREATIVE ZEN X-Fi3では、本体音量が30、カースピーカー音量は6くらい
がちょうど心地よい塩梅だったのだが、SONY様のWALKMANで同様に設定すると、どうもよろしくない。カースピーカー
音量を15まで上げて、ようやく耳に届く音の量は以前並みになったが、音質は、やはり遠慮がちにくぐもっている。
そこでついにBluetoothペアリング挙行。少々梃子摺ったが、本体を接続状態にした後でマツコネを待ち受けさせるという
段取りを踏むと、何か6桁くらいのコードが両方のディスプレイに表示され、ペアリング成立。
二回目以降の接続は、本体に表示される接続先から"MAZDA"を選択し電波を飛ばすや否や、すかさずマツコネの方で
"NW-A17"を選択して受け容れる…という、そんなに忙しくはないけれど、スマホやPCが登録済みの自宅Wi-Fiアクセス
ポイント圏内に入ると殆ど意識せずに接続されるのに比べると、少々メンドくさい。
コレに加えてさらに、スマホでハンズフリー通話するためにもうひと手間かけようという気には、到底なれない。
そもそも、ずっと以前にバイクやクルマで骨伝導タイプも含めてイヤホンマイク通話を試みた際、意識の四分の一ほどが
会話の方に持ていかれたかのような怖い感覚を味わったのは今でも憶えている。ハンズフリーのスピーカーホンでは、
話す・聞く・考えるに要するエネルギーが大きくなり、かつその影響が車内全体に増幅・拡散されるような気がしている。
僕が、クルマの運転中に通話をすることは恐らくないだろうと、今のところは考えている。
それはさておき、BluetoothでコネクトされたWALKMAN、本体でプレイ中の楽曲情報がマツコネディスプレイに表示され、
センタージョグダイヤルでは「一時停止・再開・次の曲へ・現在の曲の冒頭へ」という操作が出来ることは分かった。
それより何より、本体の方で自由自在に操作が出来る。まるでリモコン状態だ。
音量に関しては、不思議なことに本体音量を、診察待ち右耳イヤホン時の10、電車移動時の15、そして最大30のいずれ
に設定しても、スピーカーから鳴る音量に変化は感じられず、カースピーカー音量は15~20に設定することにした。
音質は、AUXケーブル経由とは別物のようにクリアでくっきり立っているように感じたが、SONY様を朝夕の電車のお供
にするようになって以来耳が目覚め、馴染み、そして欲している臨場感や立体感や息遣いといったものは聴き取れない。
車載BOSEシステム(初めからお仕着せで付いてきたんですよお:-P)の音質設定か、本体のあれやこれやの設定如何で
改善出来る可能性もあるるが、それが朝夕の電車のお供に招かれざる変化をもたらすようなら本末転倒。それはイヤ。
それからあと一つ、Bluetooh接続の自由を確保したまま、充電だけ出来る専用USBケーブルってないのだろうか?
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きのうはケータイを家に置き忘れてきたが、別に何ということもなく安穏としていられた。
バスNAVITIMEが使えなかったことを除いては。
きょうは、予報を知りながら傘を家に置き忘れてきたら、帰りしなに見事に降られた。
がしかし、同じビルから出て来た見知らぬ小柄な女性から何と!相合い傘しませんか?という
生まれて初めての僥幸が。歩くペースが遅すぎるので躊躇して一旦お断りしたものの、結局は
ご厚意に甘えて小さな折りたたみ傘の一隅をお借りし、蔵前駅までの道行きを歩み始めた途端
雨足が急に強くなった。その雨音に負けないよう、一心にお礼とお詫びの言葉を発し続けた。
もちろん、笑顔で。
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蔵前堂への行き帰り、路駐している2台の黒塗り高級車を何となく眺めていて気がついた。
先代クラウンの帝都ハイヤーの方が、セルシオよりも滑らかな塗膜だった。
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確か「付属イヤホンに最適化」設定をOFFにしたのを除き、ほぼ吊るしのままで使い始めた二十八年ぶりのWALKMAN。
何度か聴き直した「ピヤノアキコ」ラストの伝説的ライヴ「あしたてんきになれ〜雨ふり〜相合傘」が終わると、思いがけず
「二人のアカボシ」が。…もう十年以上も昔、清志郎や矢野顕子やピチカートらを再認識するずっと以前、デミオの車載CD
プレイヤーで数えきれないほどヘビロテしたこの唄ですら聴こえてなかった楽器やコーラスのディテールを、今聴いている
そのこと自体に呆気に取られていると、「二人のムラサキ東京」「冬の磁石」と続く。…そうか、アルバムやシングルの名前
順にシリアルに流れてるんだと気づき、じゃ次は「ベリッシマ」か?と身構えていたら「ベスト・コンディション〜kinmokusei
single collection」だった。十五年前「はっぴいえんどになりたかった」と言ってデビューした彼らがこのアルバムを最後に
活動を休止して、もう七年も経ったことになる。
津田沼駅ナカのMonthly Sweetsが「赤坂TOPS」になっていた。クリスマスだけと思っていたのに僕の誕生月もだなんて、
なんてシアワセ。
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ピヤノアキコのさようならを聴きながら快特成田行きに乗り込んだ途端、きょうも奇跡が起きた。
もはやコレは奇跡ではないのかも知れない。僕に席を譲って下さった女性の背後の席も浅草で空き、
彼女は再び腰掛けることが出来た。
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案の定ポチってしまった。そして一昨日、およそ二十八年ぶりのSONY様のウォークマン、NW-A17が手元に届いた。
CDを.flac形式にリッピングした手元のアルバムを、全てではないが片っ端から転送し試聴。付属のイヤホンでも相当
イケる音が聴こえてた…というか、正直、SHUREから転向して六年半、二代目のUltimateEarsと区別がつき難かった
が、ピヤノアキコのヴォーカルが耳に囁きかけ、ピアノが凛と立ち上がってくるのは、やはりUltimateEarsの方だった。
京成線の奇跡に巡り合せたとき、きちんとお礼は言ったものの、座席を譲ってくださった方の目には、夢見心地で半分
上の空な人に映ったかも知れない。
そして夜半前、自宅のBluetoothスピーカー三つ全て(JAMBOX by Jawbone、BIG JAMBOX by Jawbone、CREATIVE
ZiiSound D5)とペアリングを試み、全てすんなり繋がった。サスガのSONY様だ。三つ目のZiiSound D5なんて、自社製
プレイヤーすら繋がらなかったんだもの。
さあて…今週末、マツダコネクトとはいかなる仕儀に相成ることか?
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ピヤノアキコの中央線を聴きながら快特成田行きに乗り込んだ途端、肩を叩かれ座席を譲っていただく。
…もう数えきれないほど巡り合わせた京成線の奇跡。
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