きょうでさよなら
四十数年前の日曜、団地の駐車場でマットブラックのホンダZを弄ってたお兄さんだったのが、巡り巡って
七年半前から一緒に働く間柄になったHさん、きょうでさよなら。ありがとう。
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四十数年前の日曜、団地の駐車場でマットブラックのホンダZを弄ってたお兄さんだったのが、巡り巡って
七年半前から一緒に働く間柄になったHさん、きょうでさよなら。ありがとう。
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14:23
f2.8, 1/80, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
14:24
f2.8, 1/250, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
15:46
f5.6, 1/250, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
京成津田沼を出た電車は10分ちょっとでみどり台に着くことが判ったが、珍しいことに、担当Tさんの営業車は一向に
駅前に現れない。…さらに10分ちょっとの待ち呆けの後、接客に追われ遅れてやって来たTさんの運転で、駆け込み
ショッピング目当てと思しき大渋滞だった津田沼界隈とは対照的にガラ空きの道を辿り、みなと近くのディーラーへ。
気分一新で出発する前に、マツダコネクトVer.Upに伴うナビゲーション設定情報のリセット状況を確認。案の定、自宅
住所は消え、地図表示も3Dのヘッディングアップに戻っていたが、ライト点灯時、夜間モードに「自動切替」になるのを
キャンセルした設定は生きていた。さらに驚いたことに、起動しておいたCREATIVE ZEN X-Fi3をケーブル経由でAux
端子に繋いだ途端、スピーカーから矢野顕子の「ISETAN-TAN-TAN」が流れてきた。これはVer.Upの結果なのか否か
判らない…が、確か初めて繋いだときは、コマンダーコントロールで"Entertainment"を選択して、繋ぎたいメディアを
Auxに設定してから音を鳴らしたような記憶がある。…はて、その結果プラグアンドプレイになったのか?それとも
ハナっから、何も考えずに繋げば鳴らせる仕組みだったのか?
Bluetoothでスマホ繋いでハンズフリー通話とか、Facebookメッセージの自動読み上げ…とかは当面使うつもりがない
ので、その気になったら試してみよう。とはいえ、十年ほど前に骨伝導マイクとスピーカーを介した携帯電話で通話を
試みた際、意識の四分の一くらいが会話に持って行かれるような怖い体験をしたのを憶えているし、自動読み上げの
方も、ナビゲーションの音声案内が、「単語」と「て」「に」「を」「は」レベルを繋ぎ合わせて流れてくる、ふた昔
くらい前のいかにも合成音声風味な気持ち悪さであることを考えると、ゾッとしない。
帰途は、弱まったり強まったりの風雨の中、いつもの市場ヘアピンから県道15号クルーズで寄り道せず。御成街道は
相変わらず渋滞していた。
【続きは「Maintenance Log」】
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16:46
f8, 1/200, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
16:51
f8, 1/30, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
16:59
f8, 1/200, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
17:00
f8, 1/200, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
17:10
f8, 1/400, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
18:08
f2.8, 1/125, ISO 400, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
、
18:11
f2.8, 1/125, ISO 400, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
やはり午後の手術のために先々週よりも遅く、通常は診療時間が終了する時刻に脳神経外科主治医の予約が取れた。
余裕を持ってその一時間半前に家を出て、新京成と船橋新京成バスを乗り継いで東船橋病院へ。
暮れ泥むことなく斜光線を跳ね返し屹立していた団地群と足早に向き会いながら、予約時刻の十五分前に病院受付へ。
前回のMRIで判ったとおり現時点で脳疾患の恐れはなく、昨夏終わり頃に船橋整形外科の若い方の主治医が「実を
言うと、私たち外科医は門外漢なんです…」と白旗を揚げていた、「質の悪い神経痛」に正しく僕は陥っており、それに
負けぬよう、それを悪化させぬよう付き合ってゆけるようになることが、一見遠回りのようでいちばん確実。事実、先月
までの三ヶ月間、そうやって暮らしてこれたのだから、そのペースを取り戻しましょうよ…というのが、昨夏に一旦僕を
社会へ送り返してくれた主治医による、すとんと腑に落ちる見立てであった。
船橋整形外科で昨春「頚椎椎間板障害」の診断を下した年嵩の方の主治医は先々週の診察時、現在処方されている
強めの鎮痛剤「トラムセット」の服用を疼痛時のみに限るよう申し渡したが、先月までのペースに戻すことにする。
すなわち、朝出掛けに一錠。さらに昼下がり、我慢できなくなりそうなときに限ってもう一錠服用する。
加えて、再び衰えてしまった体幹の姿勢と筋力を保持しつつ「蜂のように刺さないが蝶のように舞い」ながら、歩くんだ。
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CATVで紹介していた夏見台1-19-10の電車で行けない喫茶店「いずみ」が見つけられなかったストリートビューは
何と、その斜向かい付近の中華料理屋店内まで入り込んでた。
http://goo.gl/maps/bPkKv
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On March 22nd
Nikon FM3A, Voigtländer Ultron 40mm F2 SL2N Aspherical , 52mm L37c Filter and FUJICOLOR 100
scanned with OpticFilm 7600i Ai
フジカラー100を長年馴染んだ機材に詰め、御成街道沿いなどで幾度か手習いにしてきた被写体に向き合った。
高山写真館で現像から上がったネガのコマ間はきちんと等間隔に揃っていたから、M店長は何ら気兼ねなくハサミを
パーフォレーション間に入れることが出来たようだ。…この二ヶ月来、リコーマチック35でリワインドをしくじった際の
レスキューや超露出オーバーや不等間隔コマネガの扱いなどで、色々とお手数をおかけした。
そのお詫びも兼ね、今後しばらくの間は、動作面に信頼性があり、かつ、操作面に習熟した機材を選ぶことにしよう。
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なぎら健壱が「風パチ!!」で「ライカより造りがいい」と紹介していたコピー・バルナックのReid。初めて「お?」と
なるも、本物より更に高価らしく縁はないだろう。先に面倒見なきゃなんないリコマチもあるし。
それよりも足立区柳原2-23-6「松むら」の干瓢巻き食べたい。
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久々に丸善で写真集をあれこれ渉猟したが、結局老舗月刊誌二冊だけ買ってきた。
アサカメ巻頭は、ビニール包装され表紙を見ただけの木村伊兵衛賞写真集「intimacy」の数葉。
想起していたLGBT的親近感親密さに続く他の作家のグラビアに次々引き込まれ「伊兵衛のこの一枚by紀信」で一息。
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14:31
f8, 1/320, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
14:33
f8, 1/800, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
14:40
f8, 1/400, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
念を込めた船橋整形外科でのリハビリ治療を終え、みなと近くのディーラーまでマツダさんを走らせ、新車1ヵ月点検。
点検結果自体に問題はなかったものの、予定より工場入りが遅れたことに加え、マツダコネクトのバージョンアップに
時間を要し、陽が傾いてきた。さらに、先週の通院時に駐車場で当て逃げされていたリアバンパーの修理を決定した
ため来週末までディーラーお預かりの身。ドナドナデミオの日と同じく京成みどり台まで担当Tさんに送ってもらった。
よって、マツダコネクトがどう改善されたのかは未確認。サービスエンジニアによれば、ナビゲーションに設定した自宅
住所や表示方法などの情報はリセットされるらしく、また、二つあるUSBポートを介した通信はアップル製品のみ可能、
その他は充電のみとのこと。…まぁいい。すでにオーテクの3.5mmケーブルを入手し、以前のFMトランスミッターライフ
とは段違いのリスニング環境を構築済みだ。
【続きは「Maintenance Log」】
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クルマに母と米を積み込み兄宅へ送り届けたタイミングで、幸いにも外出から戻った一家と顔を会わせられた。
リコマチと同じ画角のコシナ40/2をナイコンでいちばん馴染んだ系列のFM3Aに着け、リハビリ・シューティング。
マット面でピンを見極める愉しさはさておき、足運びの方が雑である。
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On March 15th
RICOHMATIC 35, Walz 52 w. UV Filter and FUJICOLOR 100
scanned with OpticFilm 7600i Ai
リアラエース100に別れを告げた後、リコーマチック35で使いたいASA100のフィルムの選択肢は、高山写真館では
目の前にぶら下がっていたフジカラー100の36枚撮り三本パック¥1.450のみだった。現像・同時プリント・インデックス
プリント一回分にほぼ相当する価格。
まだ小学校に上がる前、父の所有していたカメラで初めて触ることを許されシャッターを切ったコニカC35に入っていた
のもフジカラー100だったんじゃないかと思う。父は、つねづね「さくらカラー」の発色が嫌いだと言っていたし、モノクロは
ネオパン、リバーサルはフジクロームを使っていた。
福岡県は田川市の後藤寺で暮らしていた昭和五十一年、ユル・ブリンナーが確か「It's Striking!」という台詞でCMを締め
括っていた(ただし動画が見つからなかったから確証なし)フジカラー400を詰めたコニカC35を携え、博多か小倉で開催
されたスーパーカーショーへ行った。
そのときのネガもプリントも行方知れずのままだが、中学二年でようやく父のミノルタSR-T101を借りて写真を撮り始めた
ときも、やはりフジカラー100を使ったのだと思う。翌年の修学旅行では露出計なしのSR-1しか貸してもらえなかったが、
当時フィルムの箱の裏に印刷されていた晴天・日陰・曇天などに応じた絞りとシャッタースピードの組合せに従い撮影し、
ミスショットは殆どなかった。…今よりもよっぽどマシであった。
総武快速の車窓からの四枚は、最初のショットを除き、春分を間近に控えた斜光線に照らされた空や鉄塔や家並みが
ASA160の設定ながら、またしても青転びするほど露出オーバーになった。ランドマークにしている青塗りの二階家は
青白く浮き上がった。前回も、同時プリントではここまで青くはならなかった。…プリンタも含めたラボマシンシステムの
「懐の深さ」とでもいうべきものに、改めて驚かされるのだった。
さらに陽が傾き、ほぼ天空光だけで照らされるようになった頃合いの上鷺宮・貫井・中村北界隈で、ようやく適正露出と
思われる写りになった。昨秋見つけたばかりの、「セロテープ」の広告看板の良い加減に色褪せた商品の絵の褪色は
さらに進み、その上には練馬のヤンキーの手による花押が書かれていたが。
齢五十を過ぎたカメラのユルくてスローな判断に身を委ねてばかりいるのも、いい加減如何なものかと感じている。
雪の如月を乗り切った勢いで行くはずだったのに、あにはからんや…の弥生の日々からも起き上がらんといかん。
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「船橋市防災マップ」表面左下の「海抜の凡例」という大雑把なカラーチャートに「市内で最も海抜が高いのは
習志野3丁目付近 約32.3m」と添え書きされていたその地名をGoogleMapsでマッピングしてみると…
何とそこは、丸ごと陸自の演習場だった。
国土地理院1万分の1地形図「津田沼(平成17年3月1日発行)」(千葉14-4-4)によれば、自宅傍の御成街道の十字
路に海抜20mを示す標高点がある。御成街道と交わるその道は二つの谷と二つの山を緩く下り緩く上りながら
北進、海抜23mで成田街道に至る。さらに成田街道は、東進するにつれ標高を上げ、薬円台四丁目付近で海抜
30mとなって、その少し先で地図は終わる。
改めて、つくづく平坦な地域に暮らしていることを実感する。勿論、御成街道は件の十字路のすぐ東で急な
下り坂となって旧菊田川の谷を越えているし、内陸部の所々に昔の川筋や谷津田の名残の低地があることは
知っているが、近世まで界隈各地に拡がっていたという「牧」のありようを髣髴とさせる。
船橋整形外科のある「吹上の丘」と呼び習わされる辺りも、旧前原川などが刻んだ低湿地から急斜面で立ち
上がる崖の上に位置しているから丘のように感じられるわけで、陸自演習場付近の標高を上回ってはいない
のだ。
さらに南東方向を望み、目線よりやや高い位置を横切っているように見える成田街道付近の尾根筋の背後に
千葉工大のツインタワーが頭を覗かせていることを考えると、自宅付近と標高は変わらないのかも知れない。
ところで、かつて暮らした東京は中野区の本町三丁目界隈が確か海抜36m、急坂を下った先の、当時幾度も
洪水に見舞われた神田川沿いの低地ですら20m以上はあったことを考えると、今この地で事も無げに暮らす
我が身が可笑しくなる。
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「国民総参加クイズSHOW!QB47」、一問しか正解しなかった石橋杏奈の福岡県が優勝。美味しいとこ全部持ってった。
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船橋市防災マップ 作成:船橋市 市長公室 危機管理課 平成26年4月現在
20:30
F5.6, 1/30, ISO 1600, Nikon Df with Micro-Nikkor-P.C. Auto 55mm F3.5
CATVで市内全戸のポストに投函されると伝えていた船橋市作成防災マップの最新版が、きょう届いていた。
裏面の「津波ハザードマップ」や「地震ハザードマップ」で、浸水や液状化が予測される地域を思い切って地図に表示
してある一方、表面の市域全体図は、こう云っては何だがアバウトなつくり。津田沼駅周辺の市境は、一時期のGoogle
Maps並み。
すでに1万分の1地形図などで、自宅周辺を走る等高線については承知しているが、この「海抜の凡例」は、地図ヲタク
にして色覚にクセのある我が身には、非常に判り難い。最もリスキーな海抜0.0m付近の色はさておき、幾度も幾度も
見つめてるうち、ようやく15.0m付近にグラデーションの境い目があることに気づいたものの、それより上のスケールは
さっぱり区別がつかない。
さらに地図上に目を移すと、海抜0.0m付近の埋立地や船橋駅周辺を除く他の市域全体に、まるで単色のサバンナが
拡がっているかのように、僕の目には映るのだ。
ぃゃもちろん、道路や線路や建物が描かれてるのは判る。それは一目瞭然。問題なのは、凡その海抜を表すとされた
「地の色」の方。…でもまぁそれも、裏面の浸水・液状化予測がショッキングなのに比べれば大して用を成さないのだが
裏面では液状化危険性が高いとされている、旧菊田川沿いの谷筋など海抜10.0mm前後の谷筋が、表面の地図では
区別し難い。
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二塁にランナー背負いながら一回裏表を難なく押さえたマーくんイィね!…って、もう二回裏表投げてる。
なんだ、ライヴじゃなかったのか>BS1
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昨夜仕分けした医療費関係の領収書。ざっと算盤…じゃなかった電卓叩いてみたところ、一昨年のほぼ倍に達していた。
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今年もギリギリ投函になるだろうが、少なく見積もっても一昨年の五割増しを上回るであろう医療費関係の領収書を
仕分け終わった。…ただし一枚だけ行方不明。
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だって、FLAC対応なんだもん。
ニール・ヤングが企画した音楽プレーヤーがKickStarterで大人気 -INTERNET Watch
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/yajiuma/20140313_639395.html
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一昨日の中野新橋界隈ネタに対するFBでの鍋横界隈も含めたコメント展開を受け、当時のランドマークや店を探して
ストリートビュー。…それらは健在だったが、坂の途中の床屋が四軒長屋風クリフハウスの一軒もろとも取り壊し中。
http://goo.gl/maps/6hbnU
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船橋整形外科通院から戻ったらCATVの「風パチ!!」でなぎら健壱が、いつものOM-D系と袈裟懸けに銀Dfを提げていた。
ところが、ミニコーナー「嫁さんに言えないカメラ道楽」だかで取り上げたのは、GXRとMount A12。
夕刻、今度は東船橋病院へ通院予定。
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中学二年の春から十三年間近く暮らした中野新橋界隈を最後に訪れて以来、アッと言う間に二年余りが過ぎ去った。
川や橋や街並みはどうなったろう?お向かいのお婆さんはご健在だろうか?
写大ギャラリーから相変わらず前住所宛に送られ転送されて届く写真展の案内ハガキを目にするたび、また再び…と
思いながら、結局腰を上げず仕舞い。加えて、ココログのアクセスログ解析サービスの一時的な縮退により以前の
ようにリンク元の検索キーワードや画像からお宝を掘り出すこともか叶わなくなった中、久々の中野新橋界隈ネタを
白水社サイトの今尾恵介さん連載エッセイ「鉄道王国の歩み 第12回 西武鉄道(2) ―2013.08.19」で見つけた。
このWeb連載も「地図で読む昭和の日本 定点観測でたどる街の風景」のように、後日書籍として出版されることを
期待しつつ引用。
●中野がダメなら吉祥寺へ
都心直通への別の可能性を探るべく、川越鉄道は大正5年(1916)に村山軽便鉄道の持っていた
箱根ヶ崎(現東京都瑞穂町)〜東村山〜吉祥寺間約23キロの免許を買収した。吉祥寺は国分寺よ
り8.9キロ東京に近づくだけであり、大金をかけて新線を建設するメリットはあまりない。当初の工事
着手期限の大正7年(1918)10月21日には着工できず、その後は何度か期限延長の認可申請をし
て引き延ばしていた。
:
:
さて、大正10年(1921)8月26日には新宿〜荻窪間の青梅街道の路面に西武軌道が開業する。こ
の路線は後に都電(杉並線)となり、戦後も地下鉄丸ノ内線が開業する昭和38年(1963)まで活躍し
た電気軌道である。図4は西新宿から中野本町あたりにかけての区間で、まだ狭かった青梅街道に
単線の軌道が敷設されているのが見える。右下に見えるのは淀橋浄水場で、現在は西新宿の高層
ビル群だ。青梅街道の北側に見える淀橋警察署は新宿警察署の向かい。北西へ行って渡る川は
神田川で、ここに架かっていたのが淀橋である。その名が明治の町村制で南豊島郡の町名となり、
昭和7年(1932)には東京市に編入されて淀橋区となった。
電車の軌道はそこから西へ坂道を上がっていくが、その上が中野坂上である。いずれにせよこの
電車は純然たる路面電車であったから、7.2キロを40分もかけてのんびり往来していた。川越や所沢
から東京という距離を他の電気鉄道たちと争うのは非現実的であったに違いない。
現在の西武新宿線の母体となる鉄道を敷設・営業していた鉄道会社が、東武東上線の前身の鉄道会社や合併する
前の西武池袋線を敷設した鉄道会社に遅れをとって新宿延伸を目指し悪戦苦闘する話の中、不鮮明な写真でしか
見たことのない、かつて青梅街道を走っていた路面電車が取り上げられ、今尾さんお家芸の、当時の地図に萌える
のであった。
図4 現在の西新宿から中野本町にかけて、青梅街道の路面を走る西武軌道が開通した頃。
1:10,000「中野」大正10年修正
(地図はクリックすると拡大します)
宝仙寺あたりが地図の左端となり、実際は中野新橋界隈は外れているのだが、昭和初めの河川改修が行われる前、
幾筋もの田用水や分流を従えて蛇行しながら下ってきた神田川が青梅街道の淀橋を潜る手前の右岸の変電所から
南西方向へ緩やかなカーブを描いて伸びている線は、後に鉄塔淀橋線と呼ばれることになる送電線に違いない。
このカーブとそれに続いて西に伸びる直線部分は、後の改修後の河道にぴったり重なるんじゃないのか!?…と
勇んで現在のGoogle Mapsと比較してみたところ、とりあえずこの付近ではカーブ部分が重なっているように見えた。
現在の河道は、カーブの後、山手通りの長者橋を潜った先で一旦北西へ向きを変え、次いでほぼ真西を向いて中野
新橋を潜り、さらにその先で南西へ折れ…というルートを辿って遡ってゆく。
大正10年の地図に描かれた送電線の直線部分は、現在の本郷通りに重なっているように見えるが、厳密な比較では
ないので何ともいえない。…が、もしかしたら昭和初めの河川改修で鉄塔淀橋線を神田川上に移設した後、本郷通り
建設の用地として提供されたのかも知れない。
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On March 8th
RICOHMATIC 35, Walz 52 w. UV Filter and FUJICOLOR REALA ACE 100
scanned with OpticFilm 7600i Ai
新京成の二代目新津田沼駅こと旧藤崎台駅へ通じていた線路跡の道を辿り、旧菊田川沿いの谷筋へ向かう。
かつて中南米出身と思しき一家が暮らしていたアパートは、相変わらず空き家のままだった。
古くて大きな米屋の屋敷の背後の蔵か何かの棟瓦は、ブルーシートで覆われたままだった。
首から提げたままノーファインダー・シュート。足を置いたタイミングと重なったらしく、ブレる。
目測5mあたりの距離環の位置はほぼ体得。
最近接撮影距離は、やはり1mあたりか。
暮れ泥みゆく逆光のコントラストに対してカメラが判断した露光の結果、空の色が紫系に転んだ。
条件によっては強いクセが出ることもあるが、好きなネガフィルムだった。
さよならリアラエース。
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今夜のBS歴史館は「反逆者か?英雄か?日本の海賊・知られざる真実」。松山の小中学校の同級生やかつての同僚に
水軍の末裔にあたる人がいたことを思い出す。隣がいつもの磯田道史じゃないからだろうか、渡辺真理ハジケてる笑
来週が最終回らしい。
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BRAUN Oral-B DENTA-PRIDE DELUXE 4000
19:49
F4.0, 1/80, ISO 1600, Nikon Df with Micro-Nikkor-P.C. Auto 55mm F3.5
2006年夏以来七年半ぶり、三代目となるブラウン電動歯ブラシを購入。
一昨年くらいから、バッテリー残量表示目盛りが一つ減っただけで、その翌日にはカラケツになるという
状態になり、一日おきくらいに充電しながら騙し騙し使ってきた。きのう、FBから飛んだページの広告に
目が留まってタップしてみたところ、別体タイマー付ブラン・ニュー・デザインのフラッグ失費モデルを
前面に押し出していた。だが、そちらには目を奪われることなくamazonに飛んで、二代目と同じ使い勝手
で四種類のブラシが付属するコレを選んだ。
前回のとき三代目ブラウンと書いたのは誤りで、あのときは三代目の電動歯ブラシだった。
その昔ココの目覚まし時計には非道い目に遭ったし、シェーバーの方はパナソニックに改宗して久しいが、
こと電動歯ブラシに関して、僕のブラウン信仰はなおも続く。
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アサヒカメラ3月号P118〜119の見開きニコンDf広告の左頁、白ボディにAuto 5.8cmを着けた写真のキャプションが
「装着レンズ:Nikkor-S Auto 5.8cm F1.4*
*現在販売しておりません。」
…初めて見た気がする、こういう広告。
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14:26 on March 1st
f2.8, 1/800, ISO 100, Nikon Df with Ai Nikkor 50mm F1.8S and 52mm L37c Filter
土曜の昼、マツダさんで初めて吹上の船橋整形外科へ通院。
駐車場から通りへ出るスロープへ曲がってたまげた。昨夏、管理組合予算から支出し、出口向かいの角のNTT電柱に
設置した左右一対のカーブミラーの右片方が、明後日の方向を向いていた。人の手が到底届かない高さにあるその
ミラーが、なぜそんなことになってしまったのか?…腑に落ちない気分はさておき、たまたま交通の途切れ目だった
のを幸い、すんなりと左折して緩いアップダウンを辿る。傍らに庚申塚や馬頭観音が立ち並ぶ郵便局付近まで進んだ
あたりで、ようやくi-stopが効きはじめた。
1,500rpmの美味しいレンジをキープしたまま千葉病院バス停前のV字谷を難なく下って上り、タンポポ産業の先から
急に細くなる飯山満の道に分け入っても、対向車との擦れ違いにはさほど気を遣わずにすんだ。
リハビリ終了後、高山写真館にラボマシンホットスタンバイお願いコールをして出発。吹上交差点から船取県道を
下ってGSを探すが一軒も見つからず、結局中野木陸橋を越えた先、かつてよく利用した出光の看板を掲げた大型
スタンドへアプローチ。ウィンドウ全開にして、離れたところでガソリン給油機のレーンへ導こうとするお兄さんに
「コレ、ディーゼルですからあ…軽油満タンで!」と告げる。
給油後、燃料計に「走行可能距離756km」と表示された。
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On February 8th, 9th, 20th, 21st, 22nd and 24th
RICOHMATIC 35, Nikon L38 or Walz 52 w. UV Filter and FUJICOLOR REALA ACE 100
scanned with OpticFilm 7600i Ai
いつ以来のことなのか定かではないが、僕にとって二月とは、何かにつけシビアな巡り会わせの多い月となった。
受験シーズン真っ盛りだった十代後半を経て、二十代半ば頃に今度は受験する子供たちを支える側に立ち、三十
前後の頃は年度末に向けて、払っても払っても鬼のような残業に追われる時季を過ごした。
十二年前、今のような身体になる病を得たのも、七年前に父を亡くしたのも、いずれも二月のことだった。
去年の一月以来、再び雪に降り込められた二月上旬から下旬、痛い思いも経験したものの、如月というひとつきを
以前に比べれば、力まずヘコまず、うまく受け流してこられたような気がしている。
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初めてマツダさんで通院した帰り、イオンにクルマを停め高山写真館へ。三週間掛けて撮り終え月曜夜に現像に出した
リアラエース100の上がりはまぁまぁ。ASA160に設定したのが奏功したようだ。昨夜の室内ときょう日中で撮り終えた
分の上がりを気にしながら珈琲豆の焙煎を待つ。
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