五十路カメラが生きていた。
On January 25th
RICOHMATIC 35, Nikon L38 Filter and FUJICOLOR REALA ACE 100
scanned with OpticFilm 7600i Ai
1961年頃生産されて海の向こうに渡り、2014年パンドラの箱に入って里帰りしたリコーマチック35は、生きていた。
英文のマニュアルに書かれていた露出アンダー警告表示が出ていた場面があったかどうかは記憶にない。
全体的にやや露出オーバー気味ではあるが、完全にカメラ任せだったネガの上がりに露出不良のコマはなかった。
ただ、ゼンマイワインダーを除いてオートハーフの原型になったと思しきフィルム送り機構にはまだまだ修錬が必要。
装填時、フレーム下のスプロケにパーフォレーションを噛ませつつ独特の巻き上げレバーを操作するのに梃子摺って
カウンターを1に進めるまでに無駄コマを増やし、巻き戻し時には、「巻き戻しボタンを押しながらリワインドしなさい」と
マニュアルに書いてあったからそうしたつもりだったのだが、きっと中途半端な押し方だったのだろう。戻し始めてまだ
間もない時点で「バチン」という篭った音がカメラの中から発せられると同時に、巻き戻しクランクがすっと軽くなった。
ペンFTでパーフォレーション破断を初経験したが、今回はもっと大変なことが起きているに違いないと思われたので
そのまま触らず、五週間ぶりにラボマシン火入れお願いコールをした高山写真館へ直行し、暗室に持ち込んで裏蓋を
開けて取り出してもらった。案の定、今回はフィルムそのものが破断し、最後の数コマ分がパトローネに残った状態と
なっていた。
幼少の頃に初めて触らせてもらったコニカC35以来と言っても過言ではないレンジファインダー機の二重像合致式の
ピント合わせに慣れていないのに加え、例の固くて渋すぎるピントリングのせいで、事実上の目測置きピン状態だった
が、さほど歩留まりは悪くなかったようだ。
高山写真館の社長によれば、これから使い込んで気候も暖かくなれば改善するでしょうよ…とのことだったが、Y氏の
アドバイスにより、新たにヘリコイドグリスとベンジンをお取り寄せ。カニ目レンチはすでにお取り寄せ済み。
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