ドナドナ、ツーインツーイン、ぱちりぱちり
下取り交換価格のオンライン見積で購入価格に見合うと目論んだ機材を昨夜梱包、今朝クロネコヤマトでドナドナ。
通院ハシゴ、散髪に向かう駅までの道すがらC200を36枚撮りきって高山写真館に託し、その場で仕入れた(業)400は
暮れ泥む飯田橋駅ホームでロール・エンド。
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下取り交換価格のオンライン見積で購入価格に見合うと目論んだ機材を昨夜梱包、今朝クロネコヤマトでドナドナ。
通院ハシゴ、散髪に向かう駅までの道すがらC200を36枚撮りきって高山写真館に託し、その場で仕入れた(業)400は
暮れ泥む飯田橋駅ホームでロール・エンド。
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今朝の浅草橋駅大階段、グータッチ小父さんの掛け声がないのをいち早く悟り、一段一段落ち着いて踏み下った。
伝え聞いたところ、かつてのような出演頻度ではないものの大正デモクラチックな外套姿でご健在とのこと。
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筋肉疲労や緊張を溜め込まぬよう、足の運びを滑らかに着地を柔らかに意識して歩く通勤三日目。
浅草橋駅大階段右端の手摺を頼り一段一段軟着陸を試みながら…ふと、グータッチ小父さんの不在が気にかかり
顔を上げた途端左足を踏み外しかけたが上半身を右に捻り体重移動で堪えるも、頚は捻りたくない左側に。
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23:49 on November 25th
F1.4, 1/25, ISO6400, Nikon D600 with AF-S NIKKOR 24mm F1.4G
昨夜半前にふと思い立ち、里子に出すと決めた機材で撮り納めに及ぶという逆上せ上がりから明けた今週二日目は
正直言ってキツかったが、帰り際、十数年来の顔馴染みである隣の部の部長が掛けてくれた言葉のお陰でホッと楽に
なれた。ほんとうに有難いことである。
それにしても、七月初めの退院から五ヶ月近くも経とうとしていることに改めて驚かされる。…あれ以来行きつ戻りつ、
取り戻そうとしているもの、もう取り返せないもの、新たに手に入れようとするもの、まだ手に入れられないものがある。
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今朝、四ヶ月ぶりに顔を会わせた蔵前堂の小母さんは、相変わらず飄々として「ライディング・ストマック」作者の
自画像そっくりで、通常のオマケにさらに茹で玉子をプラスしてくださった。ありがたや。
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17:56 on November 23rd
F8.0, 1/21, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
18:12 on November 23rd
F8.0, 1/13, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
19:06 on November 23rd
F5.6, 1/23, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
土曜夕刻の我が家、兄夫婦と母と僕で甥っ子の六歳を祝った。ずんずん加速して「男の子」へと育ちつつあった。
午後の仕入れお散歩で、ついハーフ判のときのペースが出たのか、それともリズムに乗れたためか、あっという
間に36枚撮りフィルムの半分までカウンターを進めたFM3Aで初めて彼のことを撮影したが、それは後日スキャン。
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三十年ぶりに新品気分なAi28/2.8Sを久しぶりのFM3Aにつけ、撮り歩きながらプレジーコーヒービーンズへ。
ハワイアンコナマメストレートを仕入れ試飲も終えたから、次は高山写真館へ行ってCR123Aだ。
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StyleFolio for Google Nexus 7 (2013) - Black/Slate Grey - speck
15:24
F5.6, 1/64, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
旧型用FitFolioから名称が変わったせいなのかなかなか見つけ出せず、ようやくポチったspeckのケースは、
出荷を知らせるメールからよもやの60時間弱で手元に。またしても韋駄天FedEx。
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twitterのTLを追ったりFeedlyのRSSフィードを読んだりすることが億劫になった昨今だが、久しぶりに赤城耕一さんの
赤城耕一写真日録でNikon Dfに言及した記事を読んだところ…
ひとつだけいえば、D4のセンサーの画質ってものすごく良くて、完成度高いなあといつも思うんだ
けど、だったらDfのファインダー性能とAF性能も同等にして欲しかったなあと。
あぁ、いちばん期待していた部分がそんなに良くないのか…と弱気になってしまった。ところが、つらつらと過去記事を
遡って読むうち、心が晴れるような発見があった。
・CLASSIC CAMERA vol.5 - 2013-04-20 00:31 - 赤城耕一写真日録
鹿児島のカメラ修理会社「カメラサービス鹿児島」が音頭をとり、そこに集う銀塩カメラユーザ
ー25人が主に寄稿している「CLASSIC CAMERA」がめでたく5号目を迎えた。私も2号めから参加
させていただいているが、新しい号になるたびに内容が濃くなっていて、レベルも上がり驚くべき
進化を遂げているが、かなり若い寄稿者もいらっしゃるのが特徴で個人的にとても嬉しい。
:
太っ腹なのは、これはフリーペーパーであることだ。また2次元読書のここで無料で読める。撮
った写真は人に見ていただくのが一番。同じような銀塩カメラユーザーが多くいらっしゃるクラブ
も参考にされてはいかがでしょうか。
早速webでページをめくり始めたが、飛ばし読みできるページがないくらい素晴らしい内容だ。まだ今月は買っていない
二大カメラ雑誌や二千円前後するエイムックあたりに、全く関心を惹かないページがあるのとは大違いで密度が濃い。
この記事から半年以上経った現在、Vol.6も掲載されているが、Vol.1から順次読み進めて「別冊 ハーフサイズ特集」で
大幅に足踏みし、まだVol.4の半ば辺りで止まっている状態。いずれ掲載終了となるようだが、全号のリンクを覚え書き
しておく。
カメラサービス鹿児島に集うフィルムカメラ好きの仲間「15人が作った写真集」の創刊号です。
鹿児島発フィルムカメラ好き人間「22人が作った写真集」。第2号より52ページにボリュームを拡大し、
フリーマガジンになりました!
鹿児島発フィルムカメラ好き人間「26人が作った写真集」。
待望の3号が発刊しました。
鹿児島発フィルムカメラ好き人間「13人が作った写真集」CLASSIC CAMERA。
今回は別冊でハーフサイズカメラ特集です。
鹿児島発フィルムカメラ好き人間28人が作った写真集「CLASSIC CAMERA」待望の4号が発刊。
今回新たに「宮崎クラシックカメラの会」から2名の方に、プロの写真家も東京から赤城耕一先生を
はじめ鹿児島在住のプロカメラマン3名にも参加いただき、ますますパワーアップしました。クラシ
ックカメラの素晴らしさを是非ご堪能ください。
鹿児島発フィルムカメラ好き人間25人が作った写真集「CLASSIC CAMERA」。待望の5号が発刊し
ました。
鹿児島発「フイルムカメラ・クラシックカメラ好きの憩いの場。「CLASSIC CAMERA」待望の6号が発刊
しました。
鹿児島の地に、こうした形で銀塩写真文化が根付いていることを初めて知り、かなり興奮気味である。羨ましいと思う。
首都圏の一隅の津田沼に暮らし、銀塩写真を撮ったり中古カメラやレンズに出会う環境には恵まれている方ではない
かと感じてきたが、赤城さんが一番だと書いている「撮った写真は人に見ていただくこと」については、ヤ・ラ・レ・タ…と
いうのが正直なところ。
高三になっても履修していた美術の卒業制作として、徹夜暗室で引き伸ばしたプリント十枚ほどを並べて「写真展」を
開き、その場で教師や同級生の講評を聞いたっきり。あれからもう三十年近くも経つ。
この春以来、毎週毎週フィルムで撮影した写真をblogに掲載したりFacebookでシェアしたりして友達に見に来てもらう
というのは、あくまでその代償行為としてやってるんだな僕は…と、改めて思い至ったのであった。
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14:08
F8.0, 1/203, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
15:49
F8.0, 1/540, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
15:55
F8.0, 1/180, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:04
F4.0, 1/1520, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:07
F8.0, 1/203, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
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番組開始後20分ほどが過ぎ、中華街に入り込んでから先が面白くなってきたプサンの「世界ふれあい街あるき」。
やっぱり、チャンプルーな佇まいの街並みとか古い建物の中だとか坂道が出てきてこその「ぐるぐる経巡り感」。
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16:11
F8.0, 1/440, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:13
F8.0, 1/290, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:21
F8.0, 1/203, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:24
F8.0, 1/73, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
16:25
F8.0, 1/153, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
先週末のお墨付きを受け、朝イチで近所の評判の良い耳鼻咽喉科に出向いて予防接種を受けるつもりでいたのだが
結局、家を出たのは15時過ぎだった。
タイル張りの看板建築風店舗の外装が全て引っぺがされていると思ったのは勘違いだった。三軒並びの左側二軒の
一階が改装中だった。
待合室は前回ほど混んでおらず、キッズスペースのアンパンマンディスプレイに正対するベンチがちょうど空いていた。
ベンチに腰掛けて問診票を書き終わり、改めてキッズスペースの設えを見渡す。壁三面にマグリットの空のような壁紙、
一面の窓に下ろされたロールスクリーンには藤城清治風の気球が、黒ではなく白い背景にたくさん浮かんでいた。
受付から三十分ほどで診察室の中待ち椅子に通された。前回の経緯もあるため、いったん医師の問診と喉鼻チェック
を経て、ようやく右腕にインフルエンザワクチンが注射された。
診察室を出た後十分ほどで会計終了。健保組合の上部団体である東信協の補助のおかげで、半額の千五百円也。
帰途、緩く下って上る道筋を辿る間中、ずっと向かい風だった。あまり冷たくはない南風だった。
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On November 8th, 13th, 14th, 15th and 16th
OLYMPUS PEN-FT, G.Zuiko Auto-W 25mm F2.8 with Konihood and FUJIFILM (業) 記録用カラーフィルム
ISO 400 (may be equivalent to FUJICOLOR SUPERIA X-TRA400),
scanned with OpticFilm 7600i Ai
金曜
今回、絞り開放1/4秒は、宮崎から出張のTさんをお迎えした夜の大井町「炭火焼肉 唐がらし」店内の一枚目のみ。
お開きの後、あの町ならではの空気を醸す裏道を辿り駅へ向かっていればさらに夜景ショットが増えていただろうが、
急に冷え込んだ中で終電を気にしていたため、カメラを取り出すことなく最短距離でのリターンとなった。
こんど23時前頃に大井町を発つ際は、品川ではなく東京まで京浜東北線で行って総武快速に乗換えるべし。
乗換えは楽な品川駅だが、23時台の横須賀線上りは殆どなく、結局23時53分発の総武快速直通千葉行き終電まで
三十分近く待たされる羽目になった。その間東京駅へ行って地下ホームに下りていれば、もう少し早い東京折り返し
総武快速に乗れていたはず。
とはいえ、零時半過ぎの津田沼北口に、タイミングよく深夜バスの最終便が滑り込んできた。料金を確認する暇もなく
列の後ろについて乗車する際、「相場は通常運賃の二倍だろうし、日中の現金百円区間も適用外だろう」…と判断し
Suicaタッチ。車内最前部、運転席のやや斜め後ろでスタンバって、一つ目の藤崎台で降車の際にタッチしたところ
女性運転士さん曰く
「現金でお支払いでしたら二百円でよろしかったのに。いいんですか?」
「いえ、結構です…」と、初乗り料金×倍の¥320が差っ引かれたのを確認し、いつものように御成街道路肩の狭隘な
歩道に、後ろから人や自転車が迫ってきていないか確認してから左足を下ろした。
発車の際、日中夜間帯のように停留所二つ目までは現金区間だと知らせるアナウンスは流れなかったが、そのことで
ゴネたり、チャージ金額の払い戻しを求める気にはなれなかった。とにかく背後には、一刻も早く家に帰り着きたいで
あろう乗客の気配が濃厚だったから。次からは、やはり通常の二倍払えばよいと憶えておこう。
水曜
リハビリ予約時刻にちょうどハマるバスの便がなかったため、クルマで吹上へ。終了後、駿河台~中野木~踏切…と
一筆書きで戻ってから総武快速で散髪に出直し。このところ車窓から狙い撃ちしている例のアパート、F5.6、1/15秒で
ちょうどよい塩梅の被写界深度と流れ方だったが、いかんせんこの画角では小さく写りすぎることにようやく気がつき
掲載しなかった。
神無月終わりの妖精の皆様には、写真をプリントして手渡した。ブラザー純正用紙が手に入らず、フジの用紙で明るさと
色温度を少々弄った。やはり、ディスプレイ上の見た目よりも赤黄色成分が強く出がちだったため。
木曜
津田沼駅南口。丸善前の通りから左斜めに折れ、車止めをかわし陸橋をくぐり、モリシア前広場へ出る土手の袂の
銀木犀の巨木の花は、とっくに終わっていた。購入した靴を二足抱えて陽の落ちた広場へ出たとき初めて、先に
駐輪場のバオバブ銀杏まで足を伸ばしておくべきだったと思い出した。
金曜
急な雨に遭ったりして撮る機会を逸したが、耳鼻咽喉科から自宅へ戻る道の左手に建つタイル張りの看板建築風
店舗の外装が全て引っぺがされているのを目撃した。改装か、あるいは改築なのか。
土曜
東船橋病院では、受付から十分ほどで早くも声を掛けられた。声の主は、入院当時お世話になったコーディネーター。
その節のお礼を述べながら案内されたのは、診察室が並ぶ一角の斜向かいにある救急処置室の前の椅子。
それから五分も経たずに主治医から呼ばれた。五ヶ月前におそらく僕も運び込まれたのだろうその広い部屋の隅で
相談ごとは解決。予防接種も受けてよし。
「次は買いますから」の有限実行のつもりだったハワイアンコナは、タンザニア豆などとのブレンドだった。
…どおりで思ったほど値が張らなかったワケだ。
そろそろ久しぶりに、35mm判一眼レフを持ち出そうかな。
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00:13
F5.6, 1/9, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
今や消耗品扱いとなった通勤靴を除き久しぶりに、新しい靴を朝っぱらから、縁起良く履きおろした。
メーカーのサイトには既にラインナップされていないモデルゆえ、冒頭では通販サイトにリンクを貼って参照したが
きのう、またしても僕を籠絡した老錬なシュー・フィッターIさんの語っていたことはやはり正しかったと思い知る。
「どんなに通信販売が発達しても、私らのような靴を売る仕事は対面販売でないといけません」
店で試し履きさせてもらったツーサイズのうち、納得して大きい方を選んで正解だった。玄関のドアを閉めて数歩で
Uターンして階段を踏み下る足に、なんらの緊張も及ぼさない。
朝イチで向かった先は船橋整形外科。駐車場の奥の方に停めたクルマから砂利敷きの地面に足を下ろし、杖を突いて
いつもの倍ほどの距離を歩くうち、もうすでに違和感なく、ずっと以前から履き歩いている靴のように感じていた。
二ヶ月ぶりに対面した主治医は、再来週から復職すると告げた僕に、急速に真冬へ向かうこの寒さを侮ること勿れと
忠告してくれた。良くなっているしさらに良くなるはずだが、依然として筋緊張に陥り易い部位があり、何よりも
まずそこを冷やさないこと。できれば貼るタイプのカイロで要所要所を一日中ホットに保ち、血流を妨げぬように。
要所要所とは、両肩や肩甲骨の間のある一点を指していたが、あす午後のリハビリでPTさんに尋ねてみよう。
想定より早い頃合いに吹上の丘を発てたため、いつもの一筆書きルートではなく、もと来た道を逆に辿り11時前に、
近所で評判の良い耳鼻咽喉科へ到着。昨冬と同様、予約無しでインフルエンザの予防接種が受けられるその病院は、
例によって老若男女と赤子で大混雑だった。
春先まで通っていた頃は常にアンパンマンが映っていたディスプレイに、どうした訳か、ある種の不安を煽るだけの
何やら怪しからぬビデオが繰り返し流れていた。広くない院内を甲斐甲斐しく立ち回るスタッフや看護師さんたちは
そのままなのに、そのディスプレイは、なぜか別物に変わり果てていた。
だが、変わっていたのはそれだけではなかった。待合室のいちばん奥の一角が、青空や野山の描かれたスクリーンと
シートでキッズスペースとなり、そこに設えられたもう一つのディスプレイではアンパンマンが飛び回って大活躍、
ようやく胸を撫で下ろすのだった。
それから小一時間ほどで診察室に通されたが、この半年間の病歴や薬歴から、予防接種を受けても問題ないか否かを
確認してから接種した方がよいという見立て。ひとまず喉と鼻と乾燥肌に出始めた炎症を抑えるため、一月下旬から
始めたのと同じ坑アレルギー薬の服用を前倒しで始めることになった。
すべからく今年は、こうして僕の傍らを季節が往き過ぎる。その季節の只中に我が身を置いた…という実感に乏しい
まま、年の瀬へと向かってゆく。
一方、予防接種可否の判断を仰ぐため、また、復職に当たって相談したきことあり、明朝東船橋病院へ赴くことに。
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起き抜けにFacebook Messenger立ち上げたらアプリがアップデートされていた。
画面の色味…というか、青白のコントラストがドギツくなってキモチ悪い。青が良くないんだ。
本体アプリもいずれ同じようになってしまうのだろうか。
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南口モリシアのnuSTEP改めASBeeで通勤靴を仕入れた後Fjällrävenへ。
シュー・フィッターIさんと意図的に目を合わせ、雨染みを拵えたNavy Clarksのリカバリー方法(踵側から前へ
ブラッシング)を訊いた…のみならず、半額のWOLVERINEを手に辿る家路よ。
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リハビリ後の散髪帰り、練馬駅〜中野駅のバスがもう一路線あることを知った。それは関東バスの「中25」。
京王バスの「中92」より便数は少ないものの駅から乗り場が近くルートも短い。
便数減が相次いだため使わなくなった中村橋〜中野駅「中24」と同じルートを途中から辿る。
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急激に寒くなったため様子見含みだが遅くとも再来週明けから復職したい旨を上司に告げた。それまでに健保組合の
人間ドックが受けられるか否か照会してみたが、来月第一週まで空きが無いため、12/9(月)朝イチで予約。この半年
余り何度も似たような検査を受けてきたが、決まりごとゆえ。
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アクセスログから辿った、誰かによるテキスト検索結果。ニコマートが、そのネーミングからついイメージ
しがちな華奢で安造りなカメラでないことは、ELWとEL2の両機を使った上でよく分かっているつもりだ。
とはいうものの、FT系にまで手を出そうという気持ちは今のところないが。
・elw ニコマート - Google books - McBroom's Camera Bluebook: The Complete, Up-to-Date Price and ...
Incidentally, some of these cameras have name plates that say Nikomat. A Nikomat is a
domestic (Japanese) market Nikkormat. The reason for the name difference? Well, Nikomat
is easier for a Japanese person to pronounce than Nikkormart, that much is fact. Apparently
though, Zeiss objected to Nikon's use of a name so similar to their own trademark, Ikomat,
and brought legal pressure to bear, to which Nikon relented and changed name plates on the
export models to Nikkormat.
ニコンFの時代、輸出用カメラにはNikonと名付けることができずNikkorとせざるを得なかったのと同様、
またしてもツァイスからクレームが付いた挙げ句、Nikkormat銘が生まれたということらしい。
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Nikkor-N・C Auto 24mm F2.8 "Ai converted", Ai Nikkor 28mm F2.8S and Ai Nikkor 50mm F1.8S
19:46 on November 9th
F8.0, 1/17, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P
きのう、予期せぬ早さで調整・修理から戻ってきたMFニッコールレンズ三本を並べてみた。
銀座SCで受付担当者の伝票入力内容確認を求められた際、住所の誤りには気づいたがシリアルは見逃していた笑
それはさておき、ガタやスレが解消し充分なヘリコイドグリスを含んだ距離環と節度あるクリック感に調整された絞り
環を動かしていると、まるで新品レンズを操っているような気分になる。
昨夏入手した四十年前の24/2.8N.Cオートのウィークポイントだった距離環スレを気にせず使えるようになったことも
さることながら、新品だった80年代からの酷使の果ての草臥れ状態のままサルベージはしたものの、その後は防湿庫
の片隅で無聊を託つ日々を送らせていたAi28/2.8Sと50/1.8Sの二本が甦ったことが嬉しい。
このところずっと、縁あって出会い惚れたのみならず、持ち重りしない有り難さもあってハーフ判ペンFTばかり持ち
出しているが、ニコンの一眼レフをまた臆せず持ち歩けるようになったら、今回のレンズ三本に再び光を当てたいと
思っている。
元々縁のなかった24mmレンズの画角は、一時期ズームレンズを多用していた間に心地よく馴染んでしまったようだ。
D700と共に米国西海岸へ二度渡ったAiAF24-85/2.8-4Dでも、昨秋七五三に持ち出したAF-S24-120/4Gでも、広角端で
ばかり撮っていたような気がするし、実際に僕の印象に留まっているのもそういう構図の写真が多い。
一昨秋以来Mount A12ユニットほぼ一辺倒になったGXRで以前S10ズームユニット常用だった頃も、ステップズームを
24mmレンズ(相当)のままで撮ることがいちばん多かった。…ズーム要らないんじゃね?と言われそうだ。
いつの間にやら、この焦点距離、画角に至ってようやく「あぁキモチイイ広角だ」と感じるようになった。
一方、28mmの方は今や僕にとって、広いが広すぎない画角だ。半年前のようなズームではなく、三十年前のように
コレ一本で振り回したら面白いだろう。
Ai50/1.8Sにするときは、カニ爪つき絞り環の珍パンケーキばかりでなく、数多くの場面や光景を見てきたこのレンズ
も時には持ち出してみよう。
…あの頃撮ったネガやポジにも、そろそろ光を当ててみようか。
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ヤマトからコレクト宅急便の発送を告げるメールが昨夕届いてたことに今朝気づいた。はて面妖な?と商品名を
見ると「ニッコール24/2.8」。先週木曜銀座ニコンSCへ調整・修理に出したレンズが、もう戻ってくる。
代引き費用は見積額の八掛け。通院ハシゴ合間の13時頃に来てもらうよう依頼。
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On November 6th
OLYMPUS PEN-FT, G.Zuiko Auto-W 25mm F2.8 with Konihood and FUJIFILM (業) 記録用カラーフィルム
ISO 400 (may be equivalent to FUJICOLOR SUPERIA X-TRA400),
scanned with OpticFilm 7600i Ai
水曜の夕刻、リハビリから戻ると雨の月曜の捲土重来を期して歩き始めた。マッセリアの交差点で御成街道を渡って
少々拡幅はされたものの通行人同士が肩を竦めてやっと擦れ違える程度の路肩を辿り、最短ルートで菊田川がかつて
流れていた名残りの谷あいに至る。これまでにも幾度か撮り歩いた界隈にも関わらず、右手崖上の単線S字カーブを
軋らせながら走り下る新京成電車や、その先で合流する京成本線の開かずの踏切の音が、暮れ泥む町に対する写欲を
改めて駆り立ててくれた。
釣瓶落としの光線の中、出だしからシャッタースピード1/15秒、二枚目以降は全て絞り開放で撮った。御大典記念道
入り口の石碑前では自信を持って1/8秒で撮った…のだが、前ピン後ボケにしたつもりなのがなぜか逆になり、労組の
赤い看板やその手前の電柱に甘くピンが来ている。…あれ?それとも記憶違いで、コッチが狙いどおりだったのか?
それより何より、若造だった頃のようにステレオタイプでイデオロジカルな二項対立的構図を組んじまった…という
その小っ恥ずかしさも含め敢えて掲載。
そうこうする間にさらに釣瓶は落ち、一度は中に入って食事をしてみたいと数年来思っているもののきっと叶わない
であろう京成の社員食堂前辺りからは、思い切って1/4秒で撮ったと記憶している。それは間違いない。
辛うじて何とかなったコマもある…ようだ。
三月以来のあま太郎。店内の席に腰を落ち着けることなく初めて入り口であま太郎焼き持ち帰りを注文し、店を出て
さて残りの数コマをどうするか…と仁王立ちしていると肩を叩かれた。痛む頸を堪え身体ごと反時計回りに振り返る。
「これ、忘れてましたよ」と、店内にいた高校生が僕の杖を持ち立っていた。「ありがとうございます」と身体ごと
ぎこちなくアタマを下げ、杖を受け取った。
フィルムが尽き、津田沼駅まで最短距離を辿る。銀木犀の花木を見つけたりしながら予告より十分遅れで高山写真館
を訪れ、まだ温かいあま太郎焼きを差し入れできたが、その四十分前に火入れを依頼していたラボマシンが暖まって
いなかった。気温と水温の低下に伴い、薬剤が使用温度に達するまでに時間を要するようになり、現像時間も長引く
ようになったと。まさしく銀塩写真ならでは。これまでのように小一時間で上がりを受け取ることは叶わなくなった
季節に身を置いていることを実感。
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ニコンDfの発表会で後藤哲朗氏が企画説明「肩の力を抜いて、写真に専念するカメラ」 - デジカメ Watch
「肩の力を抜いて、写真に専念するカメラ」(後藤氏)
:
:
後藤研究室は日頃、製品や技術に関する提案を行なっており、ルーチンの機種開発にも助言す
るという。また、ユーザーの声を聞く活動もしているそうだ。その活動の中で、昨今のデジタルカメ
ラは「どれも右へならえで、ロゴを隠せばみな同じ」と感じ、(カメラに)“使われ(ている)感”、があ
ると考えていたそうだ。撮影枚数や歩留まりを意識するなら通常のデジタル一眼レフカメラでいい
が、今回の機種はちょっと違うと話す。
今回の新機種(後述のニコンDf)は2009年の夏に検討を開始。研究室であっというまに製品の
見た目も決まったそうだ。
Dfのイメージを「D4やD800などを忙しく使っている方でも、日曜日はこれを提げてふらりと出かけ
て欲しい」と話す後藤氏。2009年の秋には実現性の高いスケッチが出来上がり、デザイナー有志
と精密なモックを作成した。
そして社内で反応を聞いて回ったところ、後藤氏が「30年やっていて、ここまでまっ二つに分かれ
たのは初めて」と語るほどの賛否両論だったと話す。“後ろ向き”、“アナクロ”、“そんなに暇ならも
う1機種つくれ”などと言われる一方で、賛成意見も強かった。「工場も含め写真を撮っているメン
バーからは大賛成。ぜひ開発したいというメンバーがあった。上層にも協力な賛同者があり、なん
とか開発できた」と語る。開発は、自然災害や大物(D4など)を開発するミッションもあり、通常より
長くかかったそうだ。
ニコンF誕生五十周年だった2009年暮れ、フジヤカメラ主催の後藤哲朗氏特別講演会で、ハナシのマクラに後藤さん
は次のような主旨のことを言った。
「私がサービスをし過ぎて、言ってはいけない事を言ってしまうということがあるらしく、その時は私を羽交い締めにして
ここから引きずり出すために、会場にニコン関係者が大勢控えてます(笑)」
…「言ってはいけない事」の中にはきっと、このDfが含まれていたのだろう。このカメラの企画立ち上げに大立ち回りの
最中だったはずの後藤さん、そんなことはおくびにも出さず、実に淡々かつ飄々と語り、口を滑らせることはなかった。
ニコンF発売50周年記念 後藤哲朗氏特別講演会 歴史は写真によって記憶される
「Fから50年目の挑戦 栄光 現場 ―そして未来を語る―」 講演録 - フジヤカメラ
今年はF発売からちょうど50年、Fマウント50周年。
それからニッコールレンズの生産本数が累計5,000万本を達成致しました。おかげさまでニッコ
ールレンズは、毎年400万本ずつくらい増えています。
このように50がたくさん揃っておりますので、会社でも何か大きなイベントができると良かったので
すが、現在の経済がこのような状況でもあります。ニコンの映像カンパニー自体は利益をあげて
おりますが、他のカンパニーが大変苦労をしておりまして、せっかくの50年であるにも関わらず、
何も豪華な事ができないことを非常に残念に思っておりました。そう言うところにフジヤカメラさん
が今年の夏、「ニコンFマウント誕生50周年記念大回顧展」をやって下さいました。これはニコン
にとりまして本当にありがたいお話でありました。講演を依頼されたときに断る理由など微塵もあ
りませんので、今日ここに伺ったとそういう次第でございます。
結局このときは、後藤さんの淡々かつ飄々としたプレゼンが予定時間を大幅に超過し、当初予定されていた質疑応答
の時間が取れなくなったため、その代わりとして"アポロカメラ"「ニコン フォトミックFTN NASAモデル」のお披露目と
「おさわりだけはご勘弁ください…」撮影会で締め括られた。そもそも、羽交い締めを招きかねないような場面自体が
なかったのだ。そういうことも見越してのあの日の進行だったのかもしれない…と、今にして思う。
デジカメ Watchの後藤さんのハナシに話を戻す。
「売れれば、またできる」(後藤氏)
質疑応答では、Dfの製品化で苦労したポイントについて後藤氏が「自然災害などあり、開発の予
定も狂った。沈静化まで時期を待った。また、D4やノンレフのNikon 1も同時に立ち上がっており
ヒト、モノ、カネを集めるのに大変苦労した」と話した。図面上や生産上の苦労もあったものの、
何より進行が一番の苦労だったという。
仙台ニコンあるいは水戸ニコンで生産する前提だったのが、大震災の影響などで足踏みを余儀なくされたということ
なのだろう。
十数年前に現行一眼レフカメラへ装着することすら見限った非Aiニッコールレンズの面倒を今頃になって再び見ると
いう、"不変の"Fマウントを標榜するメーカーゆえに許される(笑)ブレ幅の大きさってどうよ?…とか、カメラそのものの
アラだとか、色々ツッコミどころはある。けれどいずれにせよ、こんなご時世にこんなカメラを、後藤さんをはじめとする
ニコンという企業が世に出したことには喝采を送りたい。
また、Dfの満足度について尋ねられた後藤氏は、「正直、次に何をするとわかってしまいそうなの
で答えられない。F3からD3まで担当したが、いわゆる『あすなろ』で、“次はやるから今回はカンベン
ね”、の所存なので、担当したカメラに一度も100点をつけたことはない。今回もとても及ばない点が
ある」とコメント。また、「(Dfが)予定通り・予定以上に売れてニコンブランドが向上し、反対派がいな
くなれれば、またできる。そのときはやりたい」と抱負を述べた。
…売れて欲しいね、是非とも(笑)
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津田沼南口公園の一角でも濃く薫っていた木犀(銀木犀)の白い花木を遂に発見。千葉工大FuRoビル前の歩道脇の
植え込み。
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On November 1st, 3rd and 4th
OLYMPUS PEN-FT, F.Zuiko Auto-S 38mm F1.8, G.Zuiko Auto-W 25mm F2.8 with Konihood and FUJIFILM
(業) 記録用カラーフィルム ISO 400 (may be equivalent to FUJICOLOR SUPERIA X-TRA400),
scanned with OpticFilm 7600i Ai
一枚目、サイン入りCDをいただいた夜のみ38/1.8で、残りは25/2.8で撮影。
利根コカ・コーラボトリングのルートカーの写った二枚目を除き、全て絞り開放で撮影。
絞り開放六枚のうち四枚は1/15秒で、雨に遭った最後の二枚は1/8秒で撮影。でも何とかなっている。
ことほど左様に、このカメラは手振れが起こりにくい。
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零時過ぎ、チャンネルフリッブしてたら久々のジャパチャンDX。
NHK土スタで家電俳優藤原茂樹が「最近ハマッてます。皆さんも量販店へ!」と煽ってたサイレントジューサーを
タカタ社長自ら売り込んでた。…ヤバい。でも高いし、デカい図体の赤ラメボディを台所に置きたくなくて命拾い。
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例年どおり金木犀よりひと月遅れで木犀が微かに薫っているが、その白い花木の有り処を突き止められないまま。
リハビリから戻って探し歩くうち、きょうも暮れた。
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「昭和の後藤寺 - Yahoo!検索: umblog」 - Google Image Search
アクセスログから辿った、誰かによるイメージ検索結果で表示された、他人様のサイトで見つけた香春岳の
僕が出会う十年前の姿。
一週間前のときと同じページだが別の画像が表示され、「画像で検索」をタップすると、今回はこうなった。
台形の図象が構図を占めるモノクロ画像か…と思い、青文字の「類似の画像」をタップするとこのとおり。
前回と同じように軍艦や軍用機などの姿が目につくが、ページを下に手繰ってゆくと、禿げ上がった人物像
に混じって、細いエンジンナセルの初期型ボーイング737を発見。
88年暮れの羽田空港、搭乗口からさらにバスに揺られ相見えたANK米子便737は、正面から見るとオムスビ
型をしたインテークの細いナセルの下に僅かばかりのクリアランスを保つ程度の短い脚を出し滑走路の一角
に佇んでいた。
747などの太く長く背高の機体が往き交う中、その姿はまるで青白ツートンの四十雀のようだった。
観光バスと錯覚しそうなほどタイトな機内のシートに身を預けると、その四十雀は急加速で一気に離陸し、
急旋回・急上昇した。…シビレた。そしてシートベルト着用サインが消えて間もなく、窓の左下に富士山頂。
それが、遅蒔きながら僕の飛行機初体験だった。
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On October 29th, 30th and 31st
OLYMPUS PEN-FT, G.Zuiko Auto-W 25mm F2.8 with Konihood and FUJIFILM (業) 記録用カラーフィルム
ISO 400 (may be equivalent to FUJICOLOR SUPERIA X-TRA400),
scanned with OpticFilm 7600i Ai
火曜
セカンドオピニオンを頂戴して飯田橋駅へ向かう道すがら、相変わらず界隈は大工事真っ盛りだった。次に訪れたとき
どうなっているだろうか?…と考えながら辿り着いた駅のホームで、先に来た三鷹行きに乗った。
中野で降りて南口に出てみる。やはり大まかな光景は四半世紀前と変わっていなかった。丸井本店が建て直されたのと
駅前広場から見えていた古い団地を遮るビルが建ったくらい。線路際まで歩いてみると、驚いたことに団地そのものは
まだ健在だった。
水曜
リハビリマシーンNUSTEPを漕ぎ歩くペースを、毎分13歩まで落とした。筋肉に疲労と緊張を溜め込まぬように。
木曜
三年ぶりに銀座ニコンSCへ向かう。車窓からの狙い撃ちはF4、1/30秒でこの結果。次回はF5.6、1/15秒で試そう。
四本持参したMFレンズのうち、三本を距離環ヘリコイドのグリスアップと調整に預けた。返送予定は二週間後。
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