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Aug 20, 2013

僕の住んだ団地【大幅に追記 on September 7th and 8th】

8月8日に頭痛を抱えて蝉時雨を浴びた高根台団地に建っていたボックス型ポイントハウスのことが印象に
残っている。

2013080810_2
On August 8th

生まれてから物心つくまで二年間、そして一年間の下関暮らしを挟んで戻ってきてから十歳の春まで暮らした
三鷹の団地社宅には、こんな造りの住宅棟はなかったから。当時近所の牟礼公団にあったスターハウスや新川
公団のテラスハウスも同じく僕の住んだ団地には縁のない建物で、そこを訪れるたび、そこにどんな暮らしが
あるのか、そこから外の光景がどんな風に見えるか想像しようとしたが、幼かった僕には見当もつかなかった。


僕の住んだ団地は、各階に南向きの2DKが10区画東西に並んだ5階建てが4棟、中央の広場を囲んで建ち並んで
いた。
敷地北西角のA棟にあった我が家のベランダからは中央広場が見渡せた。南西の夕焼け空に、セメント工場の
塔屋と斜めパイプと富士のシルエットが、セットになって並んでいた光景も忘れられない

玄関のある北側は各階横通しの通路になっていて、幼稚園の頃まで、そこが僕の天下だった。同じ階の友達と
そこを駆け回り、あるいは三輪車を転がした。…各戸の前を通り過ぎるとき、独特の臭いを漂わせてくる家が
あることを知ったし、夕飯の支度どきは、あちこちの台所の窓から様々な匂いが流れてきた。そのときのある
家から匂っていたのと同じ匂いを、三十数年も経って嗅ぐという不思議な体験を、ちょうど四年前に味わった。

その後、中央広場にデビューすることになるが、別の棟の子たちとの、今で言うなら異文化間交流は、初めの
うちはうまくいかないことも多かった。

【ここから追記 on September 7th】
最初にデビューしたのは、広場の真ん中にあった藤棚の両側の半円形の砂遊び場だったと思う。U字型をした
トンネルを掘って、一方の口からもう一方へ抜け出た後で天井部分を上から強くドンと踏んで落盤させたり、
砂上の砦を造っては壊したりするうち、だんだんと遊び仲間が増えていった。だが、時折迷い込んできていた
野良犬や野良猫の糞を掘り当ててしまったり(そのときの臭いは今でもありありと思い出せる)牛乳瓶の欠片で
手を切ったり、砂場に持ち込んでいた僕の玩具を別の棟の子が無断で持ち帰ったり…といったことが重なって、
その砂場から気持ちが離れかけた頃、新しい遊びに誘われた。

それは、下の写真でバッチリ幼稚園児の正装で写っている僕の後ろに立つブランコ(確か3つか4つ座板が並ぶ
大きなもの)を立ち漕ぎする仲間に向かって、一人の鬼が古タイヤを転がしてぶつけるという、少々荒っぽい
遊びだった。

古タイヤは元々、中央広場の一角に遊具として下半分を地面に埋め込まれて十数個ほど並べられていたのを、
誰かが掘り出し抜き取ってきたものだった。…初めの頃、鬼にできることといえば、当時大流行しつつあった
ボーリング投球の真似事よろしく古タイヤを下手投げ風に真っ直ぐ押し出す程度。一方、狙われた側は、錆の
浮いた鉄の支柱や隣に並んだ仲間にぶつからないように、仲間と動きをシンクロさせながら全身で鎖と座板を
操って左右に振ったり、あるいは直角に捻ったりして、転がってくる古タイヤをかわすという、スリリングな
役回りだった。

ところがそのうちイノベーションが始まって、鬼の側で続々と新手が編み出されてゆく。カーブやシュートに
相当する変化弾はもちろんのこと、下の写真で僕が立つ、地面よりも一段高い植え込みの石垣の上から
石垣の鉛直面と地面の水平面との「角」のスィートスポットを狙って古タイヤを落下させて、うまくハマれば
スナップの効いた速い弾を、ハズしたとしてもショートバウンドとなって、いずれにせよ避けにくい弾を繰り
出してくる子が現れた。

そんな中で僕が生み出したのが、両手で掴んで頭上まで持ち上げた古タイヤの輪の中にアタマを入れ、一旦
両肩に載せた状態から上半身ごとエイヤっと振り飛ばすように投げるという力技だった。

こうして投げ飛ばした古タイヤの弾道は、アットランダムというのか千鳥足というのか、それとも行き当たり
ばったりと云うべきなのか、とにかく投げる側にとっても受ける側にとっても先の読めないものだった。
…あさっての方角へ飛んでしまい、失笑ものの大ファールに終わることもあった一方、上手くハマって狙った
とおりに飛んだときは必中、時には一発で二人に当てたこともあった。

ところが、その技で僕が天下を取った…ということは全くなく、この遊びは程なくして下火となっていった。
もしかしたら、これ以上この遊びがエスカレートするのを危惧した誰かの親が見咎め(現に手のひらの血豆を
初め生傷が絶えなかったし)止めさせたのかも知れないが、今となっては知りようもない。

二十人以上はいたはずの同い年の子が小学校に上がる頃、遊びの場は、再び藤棚…のさらに奥に拡がっていた
叢へと移った。広場の外周道路に挟まれた、奥行きが30~40メートル、幅が80メートルほどではなかったか
と記憶している叢は、二面の「三角ベース」のグラウンドとなった。というのは、団地の中で「野球」をする
ことは禁じられていたからだ。敷地の物理的制約やその当時乳幼児が多かったことなどの諸条件から、オトナ
たちが判断したのだと思われる。ただし例外的に、周囲に人が少なく十分に安全な場所がある場合に限って
保護者の監督の下で軟球を使ったキャッチボールをすることは認められていたから、日曜の昼間に父を捕まえ
相手をしてもらった。…ぃゃむしろ、父の方から声をかけてくることの方が多かったかもしれない。

投げる相手のグローブを見て、その方向へ軸足を真っ直ぐに踏み出すこと。
手首と人差しと指と中指でしっかりスナップを効かせながらボールをリリースすること。

以上二点が、父の毎度の指南ポイントだった。
直球勝負で、変化球は教えてくれなかった。

ところが、「三角ベース」のレギュレーションは、素手に軟式テニスボールとプラバットだった。
古タイヤを頭上まで持ち上げられる筋力や短距離走のタイムには自信のあった僕は、今もそうだが四十年前は
より一層アタマが固くて、ココロとカラダの融通が利かないタチだった。外野の守備が殆どだったが、得意のはず
の俊足は叢に阻まれ役に立たず、僕の守るところへ打てばヒットというのが相手チームの常套手段になったり
した。打つ方も、投げられてくる軟式テニスボールの見極めとプラバットの振り加減がなかなか体得できずに
凡打ばかり。広場の南側に建っていたC棟やD棟の廊下へボールを当てる「ホームラン」を100本以上打った子
がいた一方で僕は、間もなく福岡県の後藤寺へ転勤することを知らされた直後の試合で放った一本きり。
…あのときの、何だかふやけたようなジャストミートの感触もまだ覚えている。


後藤寺で迎えた小学四年の夏休みは、町内会対抗ソフトボール大会の練習で明け暮れた。相変わらずのヘタレ
だった僕が、燃料店のおいちゃんの熱血指導から学んだ大切なことは、「積極的な声出し」と「味方の守備の
精一杯のカバーやバックアップ」だった。


これらのことは、父から教わったことと合わせて、高校の体育でやったソフトボールや、かつて会社にあって
所属していた野球部でも、ある程度は役に立ったんじゃないかと思っている。
【ここまで追記 on September 8th】

当時百名を越す子供たちがいたと思われるあの団地で過ごしたおよそ十年間は、僕という人間のメンタリティー
の基礎部分に大きな影響を及ぼしている。
ふるさとと言っても過言ではないのだが、現在そこは、当時の姿をとどめてはいない。


父の転勤により後藤寺と松山で暮らした四年間を経て再び東京に戻ってきた中二の春、僕はこの団地を訪れ、
仲良しだった幼なじみと再会した。夏には彼と、小学生のようにはしゃぎながら、団地の隣にあったプールに
出かけた。
帰り際、思春期の訪れには個人差があるということを初めて実感した。

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Around 1970, photographed by USHIO Yuzo

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Around 1973, photographed by USHIO Yuzo

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