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Aug 31, 2013

吹上

吹上の船橋整形外科前バス停。その地名を現すみたいに
渇いた南西の風が、谷底から吹き上がっていた。

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12:26
F8.0, 1/2500, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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Aug 30, 2013

窓外

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11:54 on August 27th
F8.0, 1/1520, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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11:57 on August 27th
F8.0, 1/1410, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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12:01 on August 27th
F8.0, 1/380, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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12:03 on August 27th
F8.0, 1/1320, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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12:06 on August 27th
F8.0, 1/930, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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12:12 on August 27th
F8.0, 1/1230, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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14:44 on August 27th
F4.0, 1/48, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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Aug 29, 2013

今回は保護シート貼り直し一回で何とか及第点

…あとは、FitoFolioのケースが出てくれれば

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19:09
F4.0, 1/18, ISO 400, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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Aug 28, 2013

gastroenterologist

相変わらず薬との相性芳しからず、きょうは特にこの一年半の間断続的に苛まれてきた胃腸不良との関連を疑い、
地元で不評判の大病院で幾つかの例外にあたる消化器内科の門を敲いた結果、来週「下からオリンポス」が確定。

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Aug 27, 2013

neurologist

週が明けても動き出すのを阻む痛みがどうにかならないものかと、千葉駅前の神経内科医の門を敲く。先週金曜
船橋整形外科で、神経周りの痛みの治験は神経内科医に分があると言われていた。老練な医師による触診に加え、
相性の悪いロキソニンをボルタレンに替えた。…あすはどっちだ。

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Aug 26, 2013

まったく食欲のなかった昼

甥っ子の食べていたカレーライスの匂いも、まったく覚えていない。

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11:50
F4.0, 1/9, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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11:49
F4.0, 1/34, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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11:48
F4.0, 1/24, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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Aug 25, 2013

録画しておけばよかった。

「こだわり男とマルサの女 伊丹十三「お葬式」への道」前編と後編の再放送を、通しで観た。去年BSでやった
とき、途中で録画を中断してその先を観るのを止めた理由が思い出せない。今回は録画しておけばよかった。

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Aug 24, 2013

復帰と当選と

きのうは11時から二週間ぶりの船橋整形外科の診察だった。

津田沼発10時51分の「津14」バスを東部公民館前バス停で捕まえるべく御成街道をひたすら歩くも、直前の
踏切に阻まれ、ようやく津田沼十字路に辿り着いた僕の目の前をバスは通り過ぎた。
その後すぐやってきた地元を流している銀色のタクシーに乗り込み行き先を告げた。運転手さんは路線バスと
同じ道順を辿り始めたが、旧前原団地目抜き通りの坂を下りかけたあたりで、僕が
「昔このあたりは公団の団地だったんですってね…」
と話を振ると、
「そうです。もうあらかたマンションに建て替えられたり分譲住宅になっちゃいましたけど、昔は古い公団の
団地でした」
と返しながらハンドルを左へ切り、バスルートとは違う裏道に入った。

「これだけ起伏があると、昔は川も流れてたんでしょうね」
「ええ。前原川っていう川が。今でも一部残ってますよ」
と運転手さんが指し示す窓の外に、暗渠化を免れた細い水路が短く伸びているのが見えた。
「団地になる前はもう、みんな田んぼでしたよこのあたりは。今走ってる道なんてその頃のまんまです」
と言いながら、往年の谷津田の畦道跡とも水路跡とも判別のつかぬ曲がりくねった道をすいすいと通り抜けた
先の二又で右に分かれたさらに細い道を駆け上がると、何と、病院の左斜向かいあたりのバス通りに出た。
あっという間の¥980。


やや遅れた受付から一時間待った診察の結果は、出社可・リハビリ再開・投薬調整・四週間後再受診。早速、
K療法士の手によるマッサージ・ストレッチ、ストレッチベンチ上でのセルフストレッチ、ニューステップに
よるマシンウォーク、平行棒と鏡を用いた歩行フォームの自主錬…といったフルコースメニューを久々に。
初代担当の療法士だったHさんや二代目のIさんとも久しぶりに挨拶を交わすことができた。

バス・電車で移動しながら会社へ診察結果と来週からの職場復帰をメール連絡し、SPICULEで散髪。降ったり
止んだりの空模様に、二回目の傘提供を受ける。このお礼は今年もハロウィン撮影でと告げて、店を出た。

落雷により電車ダイヤの乱れが生じ始めていたため、大事をとって新宿行きも中野行きも断念して津田沼へ。
ほうとう家で、翌日に控えたマンション立体駐車場空き区画抽選の験担ぎに「カツ」を欲したが、メニューに
なかったため、衣かつぎを選んだ。


本日11時過ぎ、同じ区画を希望していたもうお一方とのくじ引きで「当たり」を引いた。…昭和五十一年正月
の早暁、後藤寺の十日戎の福引きに何のてらいもなく臨んで、特賞の恵比寿様ブロンズ像を引き当てたときの
心境を思い出し、じんわりと嬉しくなっている。

10月1日以降、最下段の奈落から出て中段へクルマを置けることになった。…もう今ごろとっくにバッテリー
上がってるはずだけど。

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12:02
F4.0, 1/14, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 21mm F4 P

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Aug 23, 2013

長い陸橋とツクツクホウシとMさんとYさんと

慎重に直射日光を避けながら歩いてきた京成千葉中央駅前からの公園道路は、途中で大きく左へ曲がった。
それまで日陰だった道路の左側から右側へ逃げ、やがて終点に至ると、その先は頭上を遮るもののない幅広の
歩道が、まるで空へ向かって昇ってゆくように続いていた。

国道357号を高架で越えるその長い陸橋へ踏み出すと、太鼓橋を思わせるやや急勾配で始まる路面に洗濯板状
の高低差の小さな段差が刻まれ、上り坂とも緩い階段ともつかないその足応えに戸惑いを覚えて何度も立ち
止まる。…そんな僕の脇を、小中学生の一団や親子連れなどが次々と通り過ぎてゆく。


357号を越えたすぐ脇にある県自動車税事務所では、些か緊張して臨んだ当方が肩透かしを喰らうほど穏和な
応対を受けた。本来二階に上がって行うことになっているらしい事務手続きは、受付の女性が呼んだ担当者が
一階まで降りてきて二階との間を往復してくれたため、その場で座って済ますことができた。実質的な所要
時間は十五分にも満たず、深く頭を下げてそこを辞した。


再び陽の当たる太鼓橋を渡りきったところで、念のため左に折れてみた。…ふいにツクツクホウシの鳴き声が
耳に飛び込んできて胸が高鳴り、足を止めた。

その向かいで、カメラのリンクショップは数名の常連さんで賑わっていた。かつてのサンアイカメラのように
ギッシリな棚を前にして、Mさん「早くお嫁に行ってほしいんだけどねぇ…」と、いつものテレ笑い。それに
お応えして、ごくごく本当に細やかな小物だが、我が家に迎え入れることにした。


6時過ぎに高山写真館に飛び込み現像を依頼。店長はこれからラボマシン立ち上げのため7時半頃上がりと
言ったが、ゆらゆらと中古カメラ浴を楽しみ、写真が架け替えられたギャラリーを眺め、もう上がった社長
の代わりにYさんと話し込むうち、あっという間に一時間半が過ぎた。平成になって物心ついたYさんは、
フィルムカメラがイケイケだった時代が「青春」と重なる店長や僕のような世代が羨ましいと語っていた。

On August 22nd
Nkon F3P, Ai Nikkor 35mm F2S and FUJICOLOR C200,
scanned with OpticFilm 7600i Ai

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Aug 22, 2013

ツクツクリンク

京成千葉中央から県自動車税事務所まで撮り歩いて用事を済ませた帰り、ずっと電話が繋がらなかったカメラの
リンクショップ
へ向かったら、棚大盛況で営業中だった。
…向かいの木立から、二年ぶりのツクツクホウシが聞こえた。

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Aug 21, 2013

Nikkor 5.8cm 中古 Yahoo! 検索

Nikkor 5.8cm 中古 Yahoo! 検索

アクセスログから辿った、誰かによるテキスト検索結果。旧サンアイカメラで出会った、齢五十三の僕の5.8cm
五月の末に持て余し気味だと白状したものの、暫く間をおくと、またあの絞り開放へろへろボケが懐かしくなってくる
のが不思議だ。あすから新宿高島屋で始まる「クラシックカメラ博」を控え、こういう変わり玉との出会いを目指す人も
多いのだろうか。

・ニコン ニッコールSオート 5.8cm F1.4 - ニッコールレンズ - カメラミュージアム - awane-photo.com

やや長めの焦点距離のせいか,落ちついた印象を与えてくれるレンズである。

このサイトに三十本ものニコンレンズを紹介しているこの方は、こんな印象を抱いている。
それはさておき、こういう方は、F-301やF-501はもちろん、こんなカメラに対しても眼を向けているわけで…

・ニコン F-601 - ニコン様一眼レフカメラ - カメラミュージアム - awane-photo.com

 かつて,スピードライトの便利さにひかれて購入した。人気機種だったようで,高級モデル
でないわりには,高値だったように思う。しかし最近,有名中古カメラ店では2000円くらいの
価格がつけられているのを見ることも多く,このクラスのカメラを必要としている人が少なく
なっていることを実感する。今となっては,あまりおすすめできない機種になってしまった。
電源が,CR-P2タイプのリチウム電池であることも,個人的には抵抗がある。

あらら、「あまりおすすめできない機種」に格下げされてる。まぁ、電池も巻き上げ音も、僕にとっては痘痕もえくぼだが。

 F-601には,Made in Japanのモデルと,後期のMade in Thailandのモデルがある。後期型は,
ホットシューにスピードライトの脱落防止のためのネジ穴があるので,区別可能である。

コレは初耳。サンアイカメラで昨夏出会った一台目も、暮れに引き取ってきた二台目も、いずれもMade in Japanだった。
…高山写真館に三台並んでるF-601は、果たしてどうなんだろう(えっ?)

F601_2

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Aug 20, 2013

僕の住んだ団地【大幅に追記 on September 7th and 8th】

8月8日に頭痛を抱えて蝉時雨を浴びた高根台団地に建っていたボックス型ポイントハウスのことが印象に
残っている。

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On August 8th

生まれてから物心つくまで二年間、そして一年間の下関暮らしを挟んで戻ってきてから十歳の春まで暮らした
三鷹の団地社宅には、こんな造りの住宅棟はなかったから。当時近所の牟礼公団にあったスターハウスや新川
公団のテラスハウスも同じく僕の住んだ団地には縁のない建物で、そこを訪れるたび、そこにどんな暮らしが
あるのか、そこから外の光景がどんな風に見えるか想像しようとしたが、幼かった僕には見当もつかなかった。


僕の住んだ団地は、各階に南向きの2DKが10区画東西に並んだ5階建てが4棟、中央の広場を囲んで建ち並んで
いた。
敷地北西角のA棟にあった我が家のベランダからは中央広場が見渡せた。南西の夕焼け空に、セメント工場の
塔屋と斜めパイプと富士のシルエットが、セットになって並んでいた光景も忘れられない

玄関のある北側は各階横通しの通路になっていて、幼稚園の頃まで、そこが僕の天下だった。同じ階の友達と
そこを駆け回り、あるいは三輪車を転がした。…各戸の前を通り過ぎるとき、独特の臭いを漂わせてくる家が
あることを知ったし、夕飯の支度どきは、あちこちの台所の窓から様々な匂いが流れてきた。そのときのある
家から匂っていたのと同じ匂いを、三十数年も経って嗅ぐという不思議な体験を、ちょうど四年前に味わった。

その後、中央広場にデビューすることになるが、別の棟の子たちとの、今で言うなら異文化間交流は、初めの
うちはうまくいかないことも多かった。

【ここから追記 on September 7th】
最初にデビューしたのは、広場の真ん中にあった藤棚の両側の半円形の砂遊び場だったと思う。U字型をした
トンネルを掘って、一方の口からもう一方へ抜け出た後で天井部分を上から強くドンと踏んで落盤させたり、
砂上の砦を造っては壊したりするうち、だんだんと遊び仲間が増えていった。だが、時折迷い込んできていた
野良犬や野良猫の糞を掘り当ててしまったり(そのときの臭いは今でもありありと思い出せる)牛乳瓶の欠片で
手を切ったり、砂場に持ち込んでいた僕の玩具を別の棟の子が無断で持ち帰ったり…といったことが重なって、
その砂場から気持ちが離れかけた頃、新しい遊びに誘われた。

それは、下の写真でバッチリ幼稚園児の正装で写っている僕の後ろに立つブランコ(確か3つか4つ座板が並ぶ
大きなもの)を立ち漕ぎする仲間に向かって、一人の鬼が古タイヤを転がしてぶつけるという、少々荒っぽい
遊びだった。

古タイヤは元々、中央広場の一角に遊具として下半分を地面に埋め込まれて十数個ほど並べられていたのを、
誰かが掘り出し抜き取ってきたものだった。…初めの頃、鬼にできることといえば、当時大流行しつつあった
ボーリング投球の真似事よろしく古タイヤを下手投げ風に真っ直ぐ押し出す程度。一方、狙われた側は、錆の
浮いた鉄の支柱や隣に並んだ仲間にぶつからないように、仲間と動きをシンクロさせながら全身で鎖と座板を
操って左右に振ったり、あるいは直角に捻ったりして、転がってくる古タイヤをかわすという、スリリングな
役回りだった。

ところがそのうちイノベーションが始まって、鬼の側で続々と新手が編み出されてゆく。カーブやシュートに
相当する変化弾はもちろんのこと、下の写真で僕が立つ、地面よりも一段高い植え込みの石垣の上から
石垣の鉛直面と地面の水平面との「角」のスィートスポットを狙って古タイヤを落下させて、うまくハマれば
スナップの効いた速い弾を、ハズしたとしてもショートバウンドとなって、いずれにせよ避けにくい弾を繰り
出してくる子が現れた。

そんな中で僕が生み出したのが、両手で掴んで頭上まで持ち上げた古タイヤの輪の中にアタマを入れ、一旦
両肩に載せた状態から上半身ごとエイヤっと振り飛ばすように投げるという力技だった。

こうして投げ飛ばした古タイヤの弾道は、アットランダムというのか千鳥足というのか、それとも行き当たり
ばったりと云うべきなのか、とにかく投げる側にとっても受ける側にとっても先の読めないものだった。
…あさっての方角へ飛んでしまい、失笑ものの大ファールに終わることもあった一方、上手くハマって狙った
とおりに飛んだときは必中、時には一発で二人に当てたこともあった。

ところが、その技で僕が天下を取った…ということは全くなく、この遊びは程なくして下火となっていった。
もしかしたら、これ以上この遊びがエスカレートするのを危惧した誰かの親が見咎め(現に手のひらの血豆を
初め生傷が絶えなかったし)止めさせたのかも知れないが、今となっては知りようもない。

二十人以上はいたはずの同い年の子が小学校に上がる頃、遊びの場は、再び藤棚…のさらに奥に拡がっていた
叢へと移った。広場の外周道路に挟まれた、奥行きが30~40メートル、幅が80メートルほどではなかったか
と記憶している叢は、二面の「三角ベース」のグラウンドとなった。というのは、団地の中で「野球」をする
ことは禁じられていたからだ。敷地の物理的制約やその当時乳幼児が多かったことなどの諸条件から、オトナ
たちが判断したのだと思われる。ただし例外的に、周囲に人が少なく十分に安全な場所がある場合に限って
保護者の監督の下で軟球を使ったキャッチボールをすることは認められていたから、日曜の昼間に父を捕まえ
相手をしてもらった。…ぃゃむしろ、父の方から声をかけてくることの方が多かったかもしれない。

投げる相手のグローブを見て、その方向へ軸足を真っ直ぐに踏み出すこと。
手首と人差しと指と中指でしっかりスナップを効かせながらボールをリリースすること。

以上二点が、父の毎度の指南ポイントだった。
直球勝負で、変化球は教えてくれなかった。

ところが、「三角ベース」のレギュレーションは、素手に軟式テニスボールとプラバットだった。
古タイヤを頭上まで持ち上げられる筋力や短距離走のタイムには自信のあった僕は、今もそうだが四十年前は
より一層アタマが固くて、ココロとカラダの融通が利かないタチだった。外野の守備が殆どだったが、得意のはず
の俊足は叢に阻まれ役に立たず、僕の守るところへ打てばヒットというのが相手チームの常套手段になったり
した。打つ方も、投げられてくる軟式テニスボールの見極めとプラバットの振り加減がなかなか体得できずに
凡打ばかり。広場の南側に建っていたC棟やD棟の廊下へボールを当てる「ホームラン」を100本以上打った子
がいた一方で僕は、間もなく福岡県の後藤寺へ転勤することを知らされた直後の試合で放った一本きり。
…あのときの、何だかふやけたようなジャストミートの感触もまだ覚えている。


後藤寺で迎えた小学四年の夏休みは、町内会対抗ソフトボール大会の練習で明け暮れた。相変わらずのヘタレ
だった僕が、燃料店のおいちゃんの熱血指導から学んだ大切なことは、「積極的な声出し」と「味方の守備の
精一杯のカバーやバックアップ」だった。


これらのことは、父から教わったことと合わせて、高校の体育でやったソフトボールや、かつて会社にあって
所属していた野球部でも、ある程度は役に立ったんじゃないかと思っている。
【ここまで追記 on September 8th】

当時百名を越す子供たちがいたと思われるあの団地で過ごしたおよそ十年間は、僕という人間のメンタリティー
の基礎部分に大きな影響を及ぼしている。
ふるさとと言っても過言ではないのだが、現在そこは、当時の姿をとどめてはいない。


父の転勤により後藤寺と松山で暮らした四年間を経て再び東京に戻ってきた中二の春、僕はこの団地を訪れ、
仲良しだった幼なじみと再会した。夏には彼と、小学生のようにはしゃぎながら、団地の隣にあったプールに
出かけた。
帰り際、思春期の訪れには個人差があるということを初めて実感した。

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Around 1970, photographed by USHIO Yuzo

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Around 1973, photographed by USHIO Yuzo

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Aug 19, 2013

悪いようにはならない。

神技ゼミナールのエージェント役深水元基に引き続き、サラリーマンNEOキャストから今度は田中要次が、夏ばっぱ
の執刀医役でラストに登場。あのばつの悪そうな表情だと、却って悪いようにはならない展開になりそうに思える。

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Aug 18, 2013

浅草鳥越

「八重の桜」で、勝海舟が調べた川崎尚之助の棲み家のある町の名が、浅草鳥越と聞こえた。二年前まで会社があった
あの界隈の旧町名ある。…二人の再会と別離の場面が、より深く印象に残ることとなった。

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Aug 17, 2013

きのうのヒョウちゃん

きのう夕刻、ネガの上がりを受け取っただけで高山写真館を辞してきたのは虫の報せだったのか。御成街道から折れた
いつもの路地で、か細く「にゃおーん」と呼ばれた。膝上でデレデレゴロゴロ以来のヒョウちゃんだった。
身体は小ぶりなままだったが、腹を撫でたら乳首に触れた。掌を甘噛みされた。

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Aug 16, 2013

ボン・ヴォヤーチョ

お盆の昼下がり、八千代のセントマーガレット病院に入院中のサイボーグに逢いに行こうと思い立ったとき、駄洒落
の得意でないずぶんが「ボン・ヴォヤーチョ」と唱えたくなるほど、ハードな道行きを覚悟した。

果たして、京成津田沼を出発した名ばかり快速すなわち各駅停車で5駅目、勝田台の北口に初めて降り立ったとき、
空が広いなと遠慮がちに感じた心の奥底で「とんでもない最果てに来てしまった」と思わなかったと言えば嘘になる。

駅向こうの南口には高い建物を幾つか垣間見ることができたが、こちら側は、銀行の上にフィットネス系のテナント
が積み重なったようなビルが一本屹立している以外、まるで、戦時中の建物強制疎開を中断したまま放って置かれた
ような店舗群の周りに、何とも「不自然な空き地」が拡がるばかりだった。…二十年も前の東葉高速線地下駅工事に
伴い避けられなかったはずの立ち退きや区画整理などの後始末が、まだ済んでないということなのだろうか。

それでも…というか、それだからこそ、被写体としての魅力を見出し、気を取り直して数コマ撮っているうち、幸い
なことに病院無料送迎の黄色いマイクロバスがやってきた。

バスが駅前を離れると、沿道は打って変わって人の営みが溢れる光景となった。工場、団地、そして…緑深い公園。

待合室までやってきてくれたサイボーグ氏は拍子抜けするくらいフツーのヒトのなりをしていて、抜けた拍子は安堵
へと変わった。六月に僕の見舞いに来てくれたときの会話の続きを、誰憚ることなく、しかし小声気味に楽しんだ。
バッテリーが交換され、プログラムをアップデートされた心臓ペースメーカーの埋め込まれた右胸をはだけた状態で
ポートレートを撮らせていただいた。

往きと同じ運転手さんによる送迎バスで、宵闇迫る勝田台北口へ戻ってきた。絞り開放、1/15秒なら歩留まりよく
何とかなりそうになってきた。この安いISO200のフジカラーは相変わらずのスグレモノ。

On August 15th
Nkon F3P, Ai Nikkor 35mm F2S and FUJICOLOR C200,
scanned with OpticFilm 7600i Ai

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Aug 15, 2013

月下美人舞ひけり。

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21:46
F2.5, 1/20, ISO 800, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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21:54
F2.5, 1/16, ISO 800, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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21:59
F2.5, 1/45, ISO 800, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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宵闇の迎え火とカネタタキと薮蚊と

きのう、母が焚いた迎え火の匂いを嗅いでから、宵闇の中歩行訓練に出た。

初めて辿る裏路地の其処彼処で迎え火が匂った。自宅ベランダから途切れ途切れに漂ってきているような気分に
なった。
そこいら中でカネタタキを聞いたが、例年ならば先に鳴き始めているはずのコオロギやほかの名も知らぬ地虫は
いなかった。
立ち止まると薮蚊が近寄って、決まってカメラを構える腕に食いついてきた。

久しぶりにデジタルカメラに向き合ってみて、宵闇を撮るならば圧倒的にこっちだなと実感する。フィルムでも
撮れないはずはないけれど、機材や感材の敷居は高くなってくるし、高感度感材がもたらす色味やアレた粒状感
や時として避けられないボケブレを「自らの表現」として手中にするのは、至難の業となるだろう。
でも、GXRだったらまだまだイケる。…数週間前に新型GRを触ったときの「何だかそぐわない感」を裏打ちする
結果となった宵闇歩きだった。

ただ、このところAi35/2Sの画角に馴染んできた身体には、35mm判換算で52.5mmのカラスコ35/2.5は狭すぎる
と感じる局面も多かった。そこで、昨秋以来お蔵入りのSWH15/4.5を再登板させてもよいのだが、すると今度は
35mm判換算22.5mmの画角を広すぎると感じ、持て余してしまうかも知れない。

となると、35mm判換算30mm台に収まる21mmか25mmあたりをVMマウント禁断の三本目とするか、あるいは
発売以来ずっと高価で手を出しあぐねているうちに世に出たMount A12へと方向転換した結果、物欲を封印した
ままにしてきたA12 28mmユニットの市中在庫を押さえるべきか…って、いったいナニ妄想脹らませてる。

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18:34 on August 14th
F5.6, 1/164, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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18:38 on August 14th
F5.6, 1/64, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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18:42 on August 14th
F5.6, 1/34, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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18:50 on August 14th
F5.6, 1/11, ISO 400, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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19:00 on August 14th
F2.5, 1/14, ISO 800, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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Aug 14, 2013

精霊馬

幼い日の夏休み、父の実家の仏間で、祖父がこれを設えるのを手伝ったことを思い出す。
キュウリは触るのもイヤだったその頃の僕は、ナス担当だった。

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16:35
F2.5, 1/23, ISO 400, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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Aug 13, 2013

シャツ届く。

BORDER SHIRT by KAWATANI SHIRT

R0020084_2
17:30
F4.0, 1/16, ISO 400, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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Aug 12, 2013

カネタタキケリ

今年初めてのカネタタキ、東金御成街道周辺四地点でカネタタキケリ。「なか卯」裏手の草木繁らせ放題邸宅のお庭、
「いけだ病院」裏のクランク路地、路地から新京成旧線路跡道路へ突き当たったアパート辺り、「トヨタレンタカー」
から三軒右隣のお庭。

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BSプレミアムアーカイブス「ドキュメンタリー 謎の一瞬」

BSプレミアムアーカイブスで1966年ボーイング727羽田沖墜落事故のドキュメンタリーをやっている。当時、亡父は
食い入るように見たことだろう。語りは若かりし鈴木健二アナ。ボルトの破談面を覗き込む科学者の手にはリバース
させたニッコールレンズ。

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Aug 11, 2013

shrine

R0019791_2
14:36 on April 14th
F5.6, 1/710, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

R0019795_2
14:40 on April 14th
F5.6, 1/710, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

R0019799_2
09:06 on April 15th
F5.6, 1/1150, ISO 200, RICOH GXR with GXR MOUNT A12 and Voigtländer COLOR-SKOPAR 35mm F2.5 PII

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Aug 10, 2013

きっとどうかしてる。

一時間前は明らかに体温を上回る外気温だったが、通院ハシゴを終えて出てみたら、三十五度を切ったと感じられる。
それだけの違いでも凌ぎやすいと感じる。…きっとどうかしてるんだろう。

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Aug 09, 2013

診察待ち

朝イチバスで船橋整形外科へ来てみたらば主治医は本日夏期休暇につき、セカンドオピニオンを
受ける医師の選定待ち。混み具合から見て長丁場の予感。
"Ziggy Stardust"は、やや感度の鈍ってきた左耳片挿しでも楽しめる。モノラル録音?

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Aug 08, 2013

団地蝉時雨

この二週間余り、一向に治まる気配を見せないアタマと頸の痛みに苛まれている。後頭部と側頭部に、ひねもす
コカコーラの瓶をゴリゴリと押し付けられ、額に時折り堅い麺棒を押し当てられ、時として頭頂部やや右寄りに
鈍い楔を打たれる日々を過ごしてきた。

幾分か症状の軽かった今朝、東船橋病院の脳神経外科に出向いて主治医の診察を仰いだ。
きのう22時台のNHK「番組たまご」で流れた"Lady Stardust"をきっかけに久しぶりに聴きたくなったDavid Bowie
The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Marsの素朴で猥雑で美しい楽曲と歌い手の訛りに
片耳だけのイヤホンで身を委ねようとしていたら、程なくして名前を呼ばれた。

問診・触診・MRI・血液検査の結果、六月に発症した重責けいれん発作の予後の経過は問題無しだった。ただ、
退院時のMRI画像と比較して今回の画像では、血流が少なくなっているように見える動脈が認められるとのこと。
現時点ではこれが原因の脳梗塞等は起きておらず(今回の撮影時のエラーの可能性もあり)、来月中旬まで経過
観察し、改めてMRI撮影という運びとなった。前回同様今回も受付から会計終了まで三時間かかったが、ロス
タイムの少ない濃い三時間だった。その分、素朴で猥雑で美しい楽曲と歌い手の訛りを楽しむ暇はなかったが。

いずれにせよ、この二週間余りの酷い痛みの原因は、二ヶ月前の発作や十一年半前の手術などの脳外科マター
ではないという結論ゆえ、頚椎椎間板ヘルニアとの因果ありやなしやについて、あす船橋整形外科で診察を仰ぐ。
…って、きっとそうに違いないけれど。


痛うても痛うても、フィルム撮影厭うまじ。

F3PとAi35/2Sの組合せが気に入り、三回連続の出動となった。四半世紀の間お蔵入りさせていたこのレンズの
面白さを、使うごとに見出している。広すぎず、狭すぎず、歪みにくく、寄りと引きとで目くるめく変わる
遠近感。…そして、じわっと霞んで消えゆくような開放のボケ。この綺麗なボケは、F5.6まで絞っても健在で、
寄った場合の後ボケが美しい。一方、普通に引くと全体がスッと引き締まって写る。
F3Pについても、これまで敬遠してきた日々を取り戻すべく馴染もうとしている。てゆーか、馴染んでる。

帰りのバス待ちの間の高根台団地と終点二つ手前の習志野台団地を歩きながら、思う存分蝉時雨を浴びた。
カネタタキはまだいなかった。

On August 8th
Nkon F3P, Ai Nikkor 35mm F2S and Kodak Ektar 100,
scanned with OpticFilm 7600i Ai

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Aug 07, 2013

不安定

昨秋から絶賛愛用中のNexus7がこのところ何かと不安定。きのうくらいからはジャイロセンサーが神経質になり、
予期せず画面が縦横に切り換わる始末。新型が発売される8月27日まで、何とか持ってくれ。

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Aug 06, 2013

【速報】ふなっしー優勝

きょう行われた「ご当地キャラ総選挙」で、船橋市非公認キャラのふなっしーが優勝してしまったらしい。

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Aug 05, 2013

東京タワー 形の変化 - Yahoo! 検索

東京タワー 形の変化 - Yahoo! 検索

アクセスログから辿った、誰かによるテキスト検索結果。…このところ毎日、「東京タワーの形が変わった」と
いったキーワードで検索してくるケースが目立つ。僕にしてみれば「何を今さら」なのだが、一昨年の大震災で
曲がった先端部の修理や、アナログ停波など送信鉄塔としての役割が剥ぎ取られてゆくにつれて各種アンテナ・
機器類が取り外されてゆく様子を気にかけている方が多いらしい。

Screenshot_20130805221020_1


一方、僕は僕で、在りし日のお宝画像を渉猟する。

・60年代、僕らの東京タワー - 60年代 懐かしの宝箱

~資料を調べてみるといろいろなことがわかる・・・

 東京の名所であるので過去より資料はあるわけで
絵ハガキにもその姿はかならずあります。60年代の絵ハガキは50年代からの流れか、白黒写真に彩色、書き込みしたものが多かったように思います。

Screenshot_20130805213229_1

言うまでもなく美しい。写真ではなく「小学舘の図鑑」などによく見られた着色写真、あるいは、"カラー印刷"
と呼ばれた手法による画像だが、いつの日か、送信鉄塔としての役割を終えたタワーを、この当時の塗り分けに
戻してほしいというのは、やはり叶わぬ夢なのだろうか。尤も、昭和六十一年の航空法改正により、赤白部分の
塗り分けは七等分でなければならず、さらに、スカイツリーのバックアップであり続ける限り地デジアンテナを
戴く必要はあるだろうから、1960年代そのままの姿とはいかないのは承知の助。だが、大展望台はあくまで赤で
あってほしい(これまでいったい何度、ココで訴えてきただろうか)。

小学館の小学2年生の特集の中に記事がありました。(1962年)
お正月特集の「日本一」です。

そして展望台からの眺望・パノラマ

Screenshot_20130805213339_1

七年前の暮れまで会社が所在していた飯倉・狸穴界隈が右下の方に描かれている。三、四歳だった僕が生まれて
初めて東京タワーを見上げた地点に戦前から建っている日本郵政飯倉ビルは、今も変わらぬランドマークだ。

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Aug 04, 2013

蝉時雨を浴びに行った土曜

津田沼を出発した「津14」バスは、成田街道から右に折れ旧前原団地界隈の木立の多い坂道を下って上った。
窓ガラスに隔てられているとはいえ、外で鳴く蝉の声の存在感は拍子抜けするほど薄かった。畑地や雑木林の
多く残る飯山満界隈にさしかかってもそれは変わらず、船橋整形外科バス停の眼下に拡がる吹上の谷を前にする
に至っても、遠くからかすかに聞こえてくる程度の、ささやかな「夏なんです」だった。


SPICULEで散髪を済ませた後、南房総方面では「どっぽん便所」という用語があるらしいという話題が出て、
彼の地出身の知人に問合せて真偽を明らかにするというミッションを帯びて店を出た。
いったん富士見台へ向かって一二歩踏み出すも、すぐに踵を返して中村橋方面へ。やがて千川通りに葉桜並木が
現れると…頭上から、まるで全身を洗い流すように降ってくる夥しい蝉時雨。
…アブラゼミ、ミンミンゼミ、ニイニイゼミ。それを全身に浴び、それにずぶんを委ねながら、生き返るような
心地で歩く。「ホーシーツクツクじゃないけど夏なんです」


フジヤカメラ本館2階にはフィルム売り場が再構築されつつあり、横から覗いてみたところ、Ektar 100はやはり
津田沼価格には敵わず、春先には¥3.98kだったPortra 160五本パックが¥4.36kに値上げされていた。その一方、
FUJICOLOR C200という逆輸入商材が一本¥0.34kで並んでいた。これは、かの銘感材SUPERIA 200と同一品かも
しれないと触手を伸ばしかけたが、思い止まった。


きょうの昼下がり、高山写真館へ出向いて現像を依頼。
ふだんの倍かかると告げられた上がり待ちは、例によって社長と世間話をしている間に終わった。140だか124
だかのフィルムを使うという、上等な革ケース入りの砂型鋳造アルミの塊のようなカメラが目に留まったことは
さておき、きのう思い止まっておいて正解。C200が¥0.29kで売られていた。二本ゲット。

On August 3rd
Nkon F3P, Ai Nikkor 35mm F2S and Kodak Ektar 100,
scanned with OpticFilm 7600i Ai

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Aug 03, 2013

千川通り蝉時雨

千川通りを歩きながら、葉桜並木から降り注ぐ蝉時雨を全身に浴びている。生き返るような気がする。
…二、三週間後にまた来たら、ツクツクホウシが聞けるかも知れない。

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Aug 02, 2013

ライブラリーに加える。

「地図で読む昭和の日本 定点観測でたどる街の風景」 今尾 恵介 著 ISBN:978-4-560-08244-7

久しぶりにamazonのおすすめを渉猟していたら、リンク切れのため再び相見えるのを諦めていた今尾恵介さんの連載
エッセイが単行本化されているのに行き当たったので是非もなく取り寄せ、ライブラリーに加える。

表紙から裏表紙にかけ、「鉄道聯隊の村から交通の要衝へ - 習志野」で取り上げられた、昭和三十六年の谷津周辺の
地図が大伸ばしになっている。


R0020081_2
18:27
F5.6, 1/32, ISO 400, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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Aug 01, 2013

春子さんと、帰着す。

♪サンズ・リーヴァー

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18:14
F5.6, 1/28, ISO 400, RICOH GXR with GR LENS A12 50mm F2.5 Macro

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