中野新橋 赤 欄干 - Google 検索
アクセスログから辿った、誰かによるテキスト検索結果。…幾度も幾度もココで取り上げているから、上位にランクされたのかw
ひび割れた赤い欄干は、もう無くなってしまったのだろう…と思い込んだ夏から十ヵ月経っても、どっこいそれは健在だった。
地下鉄丸ノ内線、中野坂上駅より方南町行きに乗り換えてひと駅、中野新橋駅で降りる。駅すぐにある
赤い欄干の橋が「新橋」で、神田川を渡った右手一帯がかつての花柳界、いわゆる三業地(芸妓置屋、
待合、料亭)のあった場所である。昭和41年ころで、料亭41軒、芸者130人だったという。
橋の袂のちょっと北、上り坂の始まる直前で矯めるように低くなった新橋通りの左側に建つ古いビルの佇まいは、暮らしていた
当時のままだった。…が、今改めてそのときの写真を見直してみると、そのビルの側壁に掲げられていた「中野新橋三業組合」
の縦書き看板が無くなっている。
| Permalink | 0
「心と体」カテゴリの記事
- 立春ヒヤウメンチヤウリキ(2023.02.04)
- 立春のユゲーっ(2023.02.04)
- 立春のパルコと月(2023.02.04)
- ポートフォリ携え、今度は小伝馬町へ(2023.02.04)
- さっきの瞳認識(2023.02.04)
「1970's / 80's」カテゴリの記事
- 立春のユゲーっ(2023.02.04)
- 立春のパルコと月(2023.02.04)
- ポートフォリ携え、今度は小伝馬町へ(2023.02.04)
- さっきの瞳認識(2023.02.04)
- ポートフォリオ携え、いったん東京の西へ(2023.02.04)
「Photography」カテゴリの記事
- 立春ヒヤウメンチヤウリキ(2023.02.04)
- 立春のユゲーっ(2023.02.04)
- 立春のパルコと月(2023.02.04)
- ポートフォリ携え、今度は小伝馬町へ(2023.02.04)
- さっきの瞳認識(2023.02.04)
「ヤナギタ・クニオー」カテゴリの記事
- 立春のユゲーっ(2023.02.04)
- 立春のパルコと月(2023.02.04)
- ポートフォリ携え、今度は小伝馬町へ(2023.02.04)
- さっきの瞳認識(2023.02.04)
- ポートフォリオ携え、いったん東京の西へ(2023.02.04)
Comments