ボタ山 香春岳 同時 - Google 検索
アクセスログから辿った、誰かによるテキスト検索結果。…「香春岳と同時に見えるボタ山」というのが、この検索の目的
だったのだとしたら、ひょっとして三十数年前の学校帰りに勢いで登山したことが翌日発覚して大目玉を食らった、
後藤寺のあの名も知らぬボタ山の来歴とかが引っかかっていないか?…と思っていたら、驚愕のテキストに出くわした。
■褐色のボタ山に赤テント
今から遡ること33年前の1977年4月、北九州ボタ山(香春岳を望む)に忽然と、唐十郎率いる
「赤テント」舞い降りて、博多から連日僕らはそこを目指した。
初日のセッションには、唐十郎、五木寛之、赤塚不二雄、三上寛、平岡正明に清川虹子が参加。
ボタ山の頂に立つ「赤テント」は、その日の雨風に煽られ観客一同そのテントを押さえながらのセッ
ションだった。
いやがおうにも、唐十郎の演出を盛り上げるスタート。
翌日も再び、八木山峠を越え『蛇姫様』公演に駆けつけたのは言うまでもない。
■ニヒリスト達の登場
国籍ももたぬ蛇姫を取り巻く不思議なつながりが、まさに息もつく間もなく展開されていく「状況劇場」
一座。
座長・唐十郎、李礼仙、不破万作、小林薫、石橋連司。そして、小林薫に根津甚八が所狭しと飛び回る。
どいつも、こいつも「我こそは!」と気取るばかりの熱演にやんやの喝采。昨日のことのような熱が
蘇る舞台だった。
そして、それを 支援していた若松孝二や赤塚不二夫もいて、時代は一つという連帯感に酔いしれてもいた。
まったく知らなかった。後藤寺で暮らした最後の年の春、そんなすぐ近所に唐が来ていたなんて。新宿花園神社の紅テント
で相見える九年も前に…って、今の尺度から見てしまうと「たった九年前」のことだが(爆)
あの名も知らぬボタ山ではないようだが、いったい、どこの山に舞い降りたのだろうか?…またひとつ、課題が見つかったw
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