1987年のF2チタン
矢野渉の「金属魂」Vol.10:1980年のオリーブドラブ――「Canon F-1 OD」 - ITmedia
悩んだ時は、僕はアパートの近くにあった、中野南口のデパートの屋上に行くのが常だった。金網越し
に新宿の高層ビル群を眺めると、なぜか良いアイデアが湧(わ)く。
デパートのエスカレーターで屋上を目指していたとき、僕は急にカメラ売り場をのぞきたくなった。月賦
販売を売りにしているこのデパートでは、値段の張る高級機も数多く展示していたのだ。
そしてそれは、ショーケースの最上段にあった。
…と、まるで運命に導かれるようにして出会ったCanon F-1 OD(オリーブドラブ)と共に、矢野渉氏はフォトグラファーとして
歩んできたという。
三十年前、僕もこのカメラの存在を気に留めたことがあったような気もするが、印象は薄い。当時の僕はキヤノンに対して
矢野渉氏とは異なり、その「垢抜けっぷり」への距離感のようなものを感じていたからだろう。父の旧式ミノルタを拝借して
写真を撮りはじめたその頃の僕にとって、キヤノンは華やかすぎて縁遠い気がした。そのミノルタですら、宮崎美子を表に
押し立てて売り出すようになった1980年代初頭、それらに後ろ髪を引かれながら僕が関心を深めていき、やがて手にした
のは、若かりし父が手を出せずに臍を噛んだという、愚直で堅苦しいニコン(の普及機)だった。
今改めてこのオリーブドラブを目にすると、当時の印象とは裏腹に1970年代起源の実直な工業製品の貌をしたカメラだと
いうことに気づく。ただし、スピゴット式マウントだけは、いかにも華奢な造りに見えてしまう。
1987年の夏、月賦販売を売りにしているこのデパートの新宿三丁目の店(当時は確か「テクノ館」と呼ばれていた)で僕は
デッドストックのNikon F2チタンに出会ったことがある。だが、大きな関心事が芝居やオートバイ免許の取得だった当時、
二十万円強というその値段には手が出せなかった。そういう巡り会わせだったのだろう。
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