写真展に、行ってきました。
小林紀晴の写真展が彼の母校写真短大で開かれていると知り、久しぶりに中野新橋を
訪れた。
ホームドアが設置されたことを除いて、駅の佇まいは当時と大きく変わってはいなかった。
電車のドアが開くと、空調装置のない駅構内に漂う昔ながらの地下鉄の、機械油混じりの
何だか甘いようなカビ臭が、懐かしく鼻を擽った。
駅に着いたのは写真家本人が登場するトーク・セッションには間に合わない頃合いだった
から、"会場へ向かう前に"寄り道することにした。中二の春から十三年近く暮らした街を
ぶらぶら彷徨い歩いた。そのために、T-MAXを詰めたF2アイレベルを持ってきたのだから。
朱塗り欄干の新橋自体は健在だったが、橋の両側に並行するように"仮橋"らしき構築物
が架かっていた。近々架け替えられてしまうのか。鉄塔淀橋線が撤去されポカンと空いた
隙間を、寄せ集めで特徴のない"山塊"となり果てた新宿副都心が埋めていた。
暮らし始めた直後にオープンして高校を卒業する頃までは通っていた床屋「ハイセンス」、
何と新橋通りの上り坂の途中に健在だった。独りっきりで切り盛りしていたあの兄ちゃん、
元気だろうか。
…もう還暦を迎える年恰好だったはずだけれど、その姿を窺い見ることはできなかった。
かかりつけだった医院は、息子さんに代替わりしていた。住んでいた社宅が十年以上前に
建て替えられたのは知っていたが、斜向かいのお宅とその背後に聳え立つ秀和レジデンス
の青屋根と白壁という、見馴れた景色は当時のままだった。
何故だか幾分道幅が拡がって感じられた裏路地を抜け、台地の縁に沿って下る道を辿る。
同級生が大勢住んでいた団地はすでに取り壊されて空き地になっていたが、その向こうに
垣間見えた新宿副都心は、当時眺めた姿に近いフォーメーションに切り取られたようだった。
…京王プラザホテルが、キチンと屹立して見えたような気がした。
写真短大に足を踏み入れるのは初めてのことだった。ちょうど人出が途絶えたギャラリーを
ゆっくりと見て回った。やはりハイキーなプリントが目についた。…僕が撮った父の遺骸とは
異なり、写真家のそれは、そうと云われなければ判らないほどブレて乱れていた。
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