コダスローム日和だった_2
潮風の吹いていた夕暮れ近く。こういうときの光をクセのあるF3でKRに捉えるのは面白い。
…フィルムスキャナのローディング機構が不調になってきた。それに気を取られたせいか
ブロワーでゴミを飛ばすのが疎かになった。
Nikon F3 with Voigtlander ULTRON 40mm F2 SL2 Aspherical and Kodachrome 64
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潮風の吹いていた夕暮れ近く。こういうときの光をクセのあるF3でKRに捉えるのは面白い。
…フィルムスキャナのローディング機構が不調になってきた。それに気を取られたせいか
ブロワーでゴミを飛ばすのが疎かになった。
Nikon F3 with Voigtlander ULTRON 40mm F2 SL2 Aspherical and Kodachrome 64
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「ウェブ3.0と黒川紀章」佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 CNET Japan 2008/05/27
どうやら今の僕は"2.0の端くれ"を享受しているのかもしれない…という認識はあったが、
早くも提起されつつあるというその次の概念。…ソレ自体を理解しようとするのはさほど
難しくはなかったが、なぜソレと黒川紀章が併記されるの?…と読み進めてゆくと、瞠目。
つい先ごろ亡くなった建築家の黒川紀章氏は、1969年に「ホモ・モーベンス
都市と人類の未来」という書籍を書いている。晩年は突如として都知事選に
出てみたり、髪を振り乱した風貌が奇人変人の雰囲気を醸し出して、奇行の
目立つオジイサンというイメージしか残っていなかったが、しかし若いころの
黒川紀章氏は本当にカッコ良かった。
この中公新書で出た「ホモ・モーベンス」も、1969年という時代に書かれたと
は思えないほど示唆に満ちた本で、現代都市で人が定着する生き方から、
いかにしてホモ・モーベンス(動く民)へと変化していくのかということが、明晰
な論理と自由闊達な筆で描き出されている。もちろん当時はまだインターネ
ットどころかコンピュータもろくに人間生活の中に入り込んでいない時代で、
「動く民」のあり方がいまのように情報のパケットを軸にしているのではなく、道
路交通や住居を軸にしている。そのあたりは黒川氏 の建築家らしさでもあり、
あるいは透明のチューブが都市の空間を縦横に走ると思われていた当時の
未来社会像を思い起こさせるようで微笑ましい。何しろ当時の黒川氏は、近い
将来人間はひとりひとりカプセルの中で生活するようになると考えていたのだ。
その哲学の表出が、かの有名な銀座八丁目の中銀カプセルタワーである。
さてこの本の終盤で、黒川氏は当時はまだ影も形も存在していなかった情報
社会の未来について、次のような仮説を立てている。これが驚天動地だ。実の
ところ彼は、無料経済とそれによる情報のフラット化、そしてウェブ2.0とその次
にやってくるウェブ3.0の世界を予測していたのだ。これらが書かれたのは繰り
返し言うが、1969年である。大阪万博の前年、まだ団塊の世代のオジサンたち
が20歳ぐらいで、石を投げて革命を叫んでいたころである。以下、引用しておこう。
…これ以上の引用は止しにしてw探してみようかしら、中公新書「ホモ・モーベンス」。
約四十年前、幼児だった僕が最初に出会った"未来予想図"は、「小学舘の図鑑『交通』」
に描かれていた"透明チューブの中を走る流線型トレインと空飛ぶキャデラック"だったが、
当時のワカゾーの中には"全共闘真っ盛り"な現実もあったりした…という対比に気づくと
今更ながら面白い。
その後、僕にとっての未来イメージは"アポロ月旅行"⇒"大阪万博"⇒"星新一のショート
ショートと真鍋博の挿絵"⇒…という変遷を辿るが、"情報社会"を現すメタファーとして
記憶にあるのは、せいぜい"ウルトラ警備隊の腕時計型TV電話"くらいじゃないだろうか。
…やがて、そうした"モノ"・"ノリモノ"・"タテモノ"を通して未来をイメージするような
志向がなくなってゆく一方で、そうとは意識しないまま、気がつくと情報社会の端くれに
身を置いている。目の前で働いていらっしゃるのは、当時のワカゾーだ。
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何だかんだで今季冬タイヤで1,200km近く走ったことになるが、雪上・氷上走行は一切無し。
…って、そもそもこのクルマでは未体験だったかも知れない。
NEW ATENZAのカタログを持ち帰ったことは接客中の販売課長には気取られなかった…と
思うw
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ニコン・エシロール、目の負担を軽減するメガネレンズ「ニコン リラクシー・ライト」
を発売[詳細資料PDF]
新調から二年あまり、左眼の度が合わなくなってきた今の眼鏡の玉をコレにしてみようか。
…今のところ、まだコッチの玉は必要ないみたいだしw
それともフレームごと新しくようか。白山眼鏡店は津田沼からなくなってしまったけれど、
会社からほど近い上野に本店があるし。…って、少なくなったなぁ。
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色々と試してみた。…色々と試そうという気にさせるカメラだと思った。
Nikon EM with Ai Nikkor 50mm F1.8S, Ai Nikkor 20mm F2.8S and Kodachrome 64
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ビルの街・人形町 発掘すれば歓楽街:YOMIURI ONLINE(読売新聞)
オフィスビルやマンションの立ち並ぶ日本橋人形町(中央区)の一角。この
ほど発掘作業が行われ、江戸時代、この地に大きな歓楽街があったことが
裏付けられた。
学生の頃、舞台用語の"上手・下手"の由来を調べていたら、江戸開府直後の日本橋界隈
には魚河岸と芝居小屋と吉原遊廓が立ち並んでいたという史実に行き当たり興奮を覚えた
ことを思い出した。ここで触れられている江戸三座は、後になって吉原と共に浅草田圃へ
移転させられる。そしてさらに下って明治二十五年、三座の一つ市村座が、会社そばの
旧二長町へと移ってくることになるのだった。
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asahi.com:フィルムカメラ、市場縮小で統計公表とりやめ 2008年05月04日
後日のリンク切れに備え、やや長めに引用。
フィルムカメラの生産・出荷統計の公表がとりやめになった。カメラメーカ
ーなどでつくるカメラ映像機器工業会が毎月公表していたが、市場縮小
で集計値が公表基準を満たさず、4月に発表した2月分の統計から集計
欄が空欄に。生産・出荷は今後も続くが、フィルム時代の終わりを印象づ
けている。
同じ版元から出ている写真雑誌の執筆・編集サイドから見たら、ハシゴを外された恰好の
物言いだw
同会によると、集計対象のメーカーが2社以下だったり、集計値の8割以上
を1社が占めたりした場合、公表しないとする基準があり、2月分が抵触。
いったん非公表になると、翌月以降も見送られるため08年の累計も公表さ
れない。来年以降、基準見直しなどで公表が復活する可能性はあるが、51
年から続くフィルムカメラの統計の公表が07年までで途絶えてしまうことも
ある。
08年1月の統計では、フィルムカメラの生産は1580台(デジタル約541万
台)、出荷は1万1573台(同約587万台)。
2社で生産台数が1580台?あるいは、このうちの8割を1社で生産?
N社?F社?…それとも、ケンコーのFマウントのヤツだろうか?
銀塩カメラ/カメラ用交換レンズ生産出荷実績表(カメラ映像機器工業会統計)
2008年2月分[PDF]
※銀塩カメラ合計の区分は、集計上の規定を満たさなかったため、表示が出
来ません。(3月分以降も、同様に銀塩カメラ合計の区分は、表示されません。)
終わりだとは考えたくないが、確かに今後は統計から除かれてしまうようだ。
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単なる週末と同じフォーメーションに成り果ててしまった今年の黄金週間だが、きのうも
おとといも通勤の電車はラクだったし、お休みの世間様に惑わされることなく事は捗った。
早く上がれるとなると道草を食いたくなるのは必然。よし髪を切りに行こうと思い立ったら
中野フジヤカメラに寄り道するのはすっかり習い性。…三週間前にまたもや十箱以上も
並んでいた黒ケーキのデッドストックは跡形も無く売り切れていて、ホッと胸撫で下ろすw
初めて「ジャンク館」に足を踏み入れると、幸いなことにジャンクではなく書籍に目が向き
八年前に発行された「ニューフェース診断室」の再録本に出会う。Fのペンタ部を指して
"亡者のマークの三角巾"と評した、五十年前の有名な一文もそのまま再録されている。
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