
07:30@神田佐久間町
この三年来、毎年今頃の時期に受診している脳ドック。きょうは、最近さほど珍しくなくなった
泊まり勤務明けから、そのまま東中野へ向かう。
佐久間学校通りや昭和通りで、黄色い帽子にランドセルの一群と幾度となくすれ違う。
強いられた集団登校とは一風異なる空気を纏いながら、子供たちが思い思いに行き過ぎる。
…ふと、昭和40年代三鷹の朝の風景が浮かび上がる。
歩道設置工事中で危険なバス通りを迂回させるためPTAが設定した仮通学路が銀行所有
の広い運動施設の中をショートカットするルートで、夏休みのプール一般開放の時以外立ち
入ったことのないグラウンドや木立の中を歩くのがすこぶる新鮮だったこと。
空の高いところを"手足の長い"飛行機がゆっくり飛んでゆくのを、よく見かけたこと。
もしかしたらベトナムとの間を往還するB-52を見上げていたのかもしれない低学年の僕は、
交通戦争から学童を守るというPTAの大義ゆえ嵩の張るランドセルの携行を認められず、
大ぶりな幼稚園バッグのような学校指定カバンを袈裟掛けにしていたこと。
…黄色い帽子にランドセルの子供たちは、秋葉原駅の昭和通り口から涌き出るように現れ、
改札先のエスカレータを次々と流れ下ってきて…結局、僕が乗り込もうとする三鷹方面行き
の黄色い(帯だけを巻いた)電車をその源としていた。
御茶ノ水へ渡る高い鉄橋を過ぎると、従来の橙色に塗られた中央線電車が合流してきた。
子供の頃馴染んだ車両とは勿論違うが、今やコレを見るといつも懐かしい心持ちになる。
五年前、リハビリに通った新八柱~市川大野間をポンポン飛び跳ねて走っていた橙色は、
三十年以上昔のまさしく子供時代の車両だったはずで、そのときは出遭いたくない迷惑な
存在に過ぎなかった。だが今やこの色は、生まれ育った土地や時代への縁となっている。
おととし更新された巨大なSIEMENS製MRIの傍らで僕を待っていたのは、年に一度の
顔馴染みの技師さんだった。
去年云われた「最後にちょっとビックリ」の段階に至ったときは、ほとんど眠りに落ち
かかっており、地震でもきたか!と飛び起きそうになった。"1/fゆらぎ"の効果てきめん。
今回、写真の持ち帰りはなし。一週間ほど後に診断結果を受領してから、必要に応じて
取り寄せることにした。
健診センターを出て黄色い帯だけ巻いた電車に一駅乗り、中野北口はフジヤカメラへ。
…改めて、まだ実用性も衰えないF3の値段が上がってきたという暖簾さんの指摘が
当たっていることに気づく。
半年前には十箱以上並んでいた黒ケーキの新品在庫はついに払底し、白ケーキのみが
数箱残っていた。…ホッと胸をなでおろすような、なんだか寂しいような。
橙色の帯だけ巻いた新しい中央線快速電車に乗って新宿へ。東中野から大久保へかけて
の大きな右カーブから久しぶりに望んだ西新宿の風景は、寄せ集めで特徴のない"山塊"
に成り果てていた。このところ意識下で気になっていたことが、そういう言葉となって現れた。
京王プラザだけがすっくと一本立ちしていた頃、「もしもアレが倒れてきたらココも危ない」と
背筋を冷たくしたのは、ただの子供の錯誤なんかじゃなかったのに…と思う。
新宿駅のホームに着いて目の前のエレベータを上がったら南口改札だった。どうしよう…と
思いかけ、向かって右の方の外れから京王・小田急両デパートの谷間を西口広場へ抜ける
「モザイク通り」の入り口があったのを思い出し、記憶どおりに辿り着く。
…居並ぶ店はすっかり様変わりし、二十年前に様々な小物を物色し手に入れた店は一軒も
残っていない。
炎熱の中をゆらゆらと泳ぐように歩き…、気がつくとMAPカメラ本店の4Fにいた。そのまま
吸い寄せられるように進んだ先に、中古のガンカプラーAS-17があった。
近くのスタバに入りアイスラテを頼むと、開店一周年御礼のマグ一杯分ほどのコーヒー
豆をくれた。飲み干す頃、近くの待ち合わせ場所に着いた母からの電話が鳴った。
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