TLJ*42
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昨夕、独り暮らし二晩目の母を慮って泊まりに来た。病院からウチへ送った荷物を届ける
目的もあった。
出発間際、ナビの目的地を親のマンションそばのコインパーキングに設定しかけ思い直す。
元々車検のため金曜に引き取り予定だった父のクルマを、急遽、その目的を廃車に変えて
持ってってもらったから、ガレージが空いていたのだ。
出発し、市川リハビリ病院前を経由して坂を上り、梨畑の中を抜ける。
僕が入院していた五年前の春、父と母が通い続けてくれたルートを逆に辿る。
父が気に入って十三年間乗り続けた、あのインディゴブルーのクルマのいないガレージに
初めて僕のクルマを乗り入れる。
きょうの昼下がり、父が好きだった稔台の松月庵へ母を連れてゆく。
僕にとっては、退院後の街歩きも覚束なかった療養期間中に連れてこられて以来だった。
母は母の、僕は僕の想いで、胸と腹がいっぱいになる。
夕焼けの中、ちょっと離れた本屋まで出かける。相変わらず優しくない路肩の溝をかわし
荒れた歩道を踏み越え、黙々と歩く。
…装具の上にリハビリシューズを履き、杖を突いて難儀しながら歩く練習をした、あまり
思い出したくないこの街での日々のことを、初めて、有難く、愛おしく想った。
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午後、兄から逐次メール・電話が入りはじめる。…覚悟をして病院に泊まり込むつもりでいた
その夜の見通しは、あるいは明るいのかも知れないぞ…と思わせる内容だった。…ところが
18時半過ぎ、「急変。急げ!」という報せに、弾かれるように会社を飛び出す。
すぐに捕まったタクシーの運転手に行き先を告げると、どこからアプローチすればよいかと
尋ねてくる。一瞬腹立ちかけ、早稲田通りの一方通行のことを気にしているのだと思い直し、
神楽坂下のところで降ろすよういったん告げ直す。…が、順天堂大の辺りまで来たところで
入った兄からの電話で、いつものように受付で面会票など書かず"突破する"ように言われる
に至り、ようやくコトの重大さを認識する。…牛込橋から歩いている場合ではない。一刻も
早く辿り着けるルートを思い描く。…クルマで病院を出て左に曲がり、法政大を通り過ぎた
最初の曲がり角、新見附に繋がる橋が外濠に架かっていたはず…。その橋を渡ってすぐに
左折して病院へアプローチするよう再び告げ直す。
神楽坂下を過ぎると、左手の石垣のはるか上を病院の窓の灯りが流れてゆく。…あの灯りの
中で大変なことが起ころうとしているとは俄かに信じ難いが、手を合わせて祈るしかない。
車寄せに滑り込んだタクシーから再び弾かれるように飛び出すと、「父が危篤なんです!」と、
生まれて初めて使う台詞を守衛に浴びせ、エレベータホールまで走る。走れなかったが走る。
閉まりかけたドアに滑り込み5階のボタンを押す。…逸る気持ちよりも些か早くドアが開く。
違和感を覚えながらも飛び出すと、ナーステーションの角を曲がって廊下を走り、トイレの
角を曲がって目指す個室に飛び込もうとするが、入り口の名札が違う。取り乱して傍を
通りかかった看護師を捕まえ必死の形相で問いただすと、そこは4階だった。
取り返しのつかない思いを胸の中で煮え繰り返しながら来た途を戻り、1階上がってまた
走って、ついに父の病室へ飛び込む。促されて掴んだ左手の温かさは頼りなく、辛うじて
血が通っているように感じられた。そしてその直後、父は事切れた。
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八日前の轍を踏まぬよう、焼そばとパリパリ餃子定食だけをオーダーし、母と二人で
シェアする。…が、それでもやはり、限界をやや上回っていたのだった。
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三年ぶりに再会した賑やかな伯父夫婦が帰ってゆくと、再び病室は静かになった。
父の足を揉む母の背後で僕は、幾度なくまどろんだ…
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母からの電話によると、相変わらず眠ったり目覚めたりの父は、大事をとってきょうから
個室に移ったそうだ。本人は大部屋に居たがっていたと聞き及んでいたが…
つまりは気圧配置が、西高東低から反時計回りに転じた結果に過ぎないと云ってしまえば
それまで。その理屈を知ってしまったから…ではないにせよ、少なくとも、キャンディーズが
唄った頃のように、何かを期待させる高揚感を伴った気象現象でなくなっているのは確かだ。
会社から仲御徒町まで、津田沼から家まで、雨量はそれほどでもないのにだらしなく濡れた、
…きょう吹いた風は、僕にとってそういったものでしかなかった。
…それよりも僕の関心事は、昨夜の清洲橋通り沿いで、曲がり角から沈丁花が薫ってきた
"ような気がした"のが、実際のところ何を意味しているのか…ということ。
明日はまた、大きく時計回りに戻って冬の嵐となるらしい。
東海道新幹線の車内、通路扉上のLEDに流れる電光ニュースは信じられないくらいの速さ
でスクロールしてゆくが、同じテキストが数回繰り返されるから読み落とすことがない。
秋葉原駅改札上のLEDに表示される運行情報は、東京駅丸の内地下のそれと同じく、立ち
止まって一文字一文字が現れるのを追わないことには、さっぱり要領を得ない。異なった
旅客会社ゆえのカルチャーの違いのなせる業なのか。
特段遅れることもなかった総武線各停で津田沼まで戻ってくると、タクシー乗り場に長蛇
の待ち行列がのたうっていた。強風のため京葉線が止まっていたのだ。これを一刻も早く
捌かねばという使命感からか、はたまた、入れ食い状態に興奮するあまりなのか、次々と
勢いよくタクシーが飛び込んでくる。不慣れなお迎えのため迷い込んできたような塩梅の
一般車両を蹴散らす、夥しいクラクション。
有難いことに、今年も大好きなチョコレートをいただくことができた。"義理"という枕詞つき
とはいえ、気持ちを受け取るというのは嬉しいものだ。
それにしても、生まれてこの方、"本命チョコ"なるものを受け取ったことは一度もない(笑)
あれはたぶん、80年代の終焉とともにこの世から消え去ったのだろう。あるいは、当時も
今も、"サンタクロースのような存在”なのかもしれない。
…ぃぃゃ、三十年前のできごとを思い出した。…小学五年生だった僕は、自宅のまん前で
待ち伏せていた見知らぬ女子中学生から、突然チョコレートの包みを押し付けられたのだ。
「お兄さんに渡してェーっ♪」って。
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土曜
朝、友人が彼の愛馬に奥様と一緒に跨ってやってきた。そして厩に導き入れてくれると、
後に仕事が控えているからと総武快速で慌ただしく帰って行った。
久しぶりに間近で接する姿と匂いに胸膨ますが、やらねばならぬことはまだ沢山ある。
まずは轡を繋ぎ留める手綱を一刻も早く探すべく、一昨年秋以来の幕張2りんかんへ。
最新式だというチェーン二本と五年前も愛用していたシートカバーを携え帰宅しひと仕事。
…もうワンサイズ上のLLL(アメリカン用)の方が適切だったことを思い出す。
夕刻の新宿東口、線路に面した一角が様変わりし、ぽっかりと空き地が出現していた。
そのすぐ隣、待ち合わせ場所にしていたやんばる食堂はすでに店じまいし、入り口には
間もなく取り壊されることを告げる紙が貼られていた。
一時間早く着いて寄り道しながら、…ふと何となく、様子を観てみようと足が向いたのは
虫の報せだったか、ひとまずこれから集う友人たちにそのことを連絡した後、別の河岸を
見定めなければ…と理由をつけて大ガードを潜り西口へ。
足を踏み入れるのは十年以上ぶりだったが、空中歩道で空が覆われたり、HALCの主が
替わっていたりといった変化はあるにせよ、根本的なレイアウトは四半世紀前アタマに
入れたソレと同じ。…ひょいひょいとヨドバシ本店界隈まで辿り着き、初めてMAPカメラの
リアル店舗へ。ファインダースクリーンの出物はなかったが、長居すると大変なことになり
かねない。待ち合わせの刻限が迫っていることも幸い、早々に店を後にした。
…自制心を保てたことよりも店のことを気に掛けながら元のやんばる食堂前まで戻ると
後ろ姿ですぐ判るTさんが立っていた。挨拶もそこそこに、代わりの店を探すため線路を
背に歩き出す。アルタ裏、三平ストアにある居酒屋に軽く目星をつけてちょっと行った先、
曲がり角の左手に、なんと、やんばる食堂が処を替えて営業していたのだった。
やがてⅠさんも合流し三名で閉店まで大酒盛り。最後は足元が覚束なくなり、泳ぐように
乗り込んだ中央線はお茶の水で総武各停最終に乗り継げる最後の電車だった。
日曜
目が覚めてケータイを手に取ると、不在着信と留守電メッセージと未読メールがいくつも
溜まっていた。どうやら前夜、酔っ払った挙句に早々と電源をOFFっていたらしい。
留守電とメールの両方とも、父の容態が芳しくないという報せ。加えて兄から電話も入り
昼下がり、体勢を整えてから飯田橋へ。
うつらうつら横たわっている父は、呼びかけに反応はしたが、最初は僕が誰だか判らず、
点滴を換えてもらったときに顔を近づけるとようやく僕を認め、にまぁ…と笑みを浮かべて
暫くそのまま、緩んだままでいた。
父の夕食まで付き添う母と後ほど駅前で落ち合う段取りを決め、再び各停に乗って中野
北口はフジヤカメラへ。大晦日以来のこの禁断の地には、中古ファインダースクリーンは
幾つか並んでいたが、方眼マットE型はやはり見つからない。が、斜めスプリットのL型と
いう変わりダネを手に入れる。さらに、ヨドバシアキバで聞いた情報とは異なって、F3用
アイピースが使用可能と知り、これも買い求めて飯田橋へと舞い戻る。
久しぶりに夕食を少し摂った父の様子を語る母は落ち着いていた。遠くない将来に起こり
得ることを、あらかじめ受け容れようとしている様子だった。大混雑で断念したれもん亭の
次点として選んだすぐ手前の中華料理屋は大正解、ただ、学生さんコースの盛りは親子
二人では捌ききれず、食べ残しを持ち帰り用に包んでもらう。
月曜
なんだか気づかぬうちに眠りに就いた前夜からの続きという塩梅で目覚め、遅めの朝食と
持ち帰り中華の昼食の間、何度目かのF2のフォトミックファインダー脱着を試み、ようやく
要領を会得した。
右手でボディ下部を支え、親指の爪でアイピース左側の丸ボタンを思い切って強く押す。
後ろ側が浮き上がったファインダーを左手で包み込むようにして、ファインダー着脱レバー
を薬指と小指で押してから下げると難なく取り外せる。ファインダースクリーンは、丸ボタン
を押しながらボディを逆さまにし、座布団の上へ落とす。入れるときは右側を先に落とし、
丸ボタンを押して左側を落とし込む。
陽が落ちた頃飯田橋へ。きょうは僕が来たとすぐに分かってくれた。昼には従弟が来て
くれていたそうだ。
ほどなくして夕食が運ばれてくると、ベッドから起き上がり看護師の助けを借りて椅子に
腰掛け、母の差し入れも含めて美味しそうに口に運んでいた。久しぶりに見る姿だった。
きのうに比べて、白目も澄んでいた。
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津田沼まで戻ってきたのは20時半過ぎ。閉店時刻まで間があるパルコA館6Fまで上がり、
渡り通路でB館へ。ゲーセンにも映画館にも脇目も振らず5Fの無印良品へ下り、通勤用の
黒靴下を物色。最近お気に入りの太リブ¥420を三足手に取るが、¥840三足組の細リブ
があるのに気がつくと、そちらに替えていた。…大きな買い物を控えているからだろうか。
下りエスカレータで4F芳林堂へと吸い込まれてゆく。ここでは南口の丸善やくまざわ書店
とは異なる出逢いもこれまで多かったが、きょう目に留まったのが「フィルム派カメラマン
のためのスキャナー入門」。別に"フィルム派"のつもりなどなく、デジタルも銀塩もどちらも
好んで無節操に撮っている。だが、再び銀塩に手を染めるきっかけとなり、今後も手を染め
続けてゆく上で必要不可欠であるにもかかわらず、実はよく解らぬまま無手勝流に用いて
きたスキャニングやレタッチ(=現像・焼付け)という手法について改めて向き合ってみようか
と思い手に取る。…たまたま、トーンカーブの調整について触れたページが開く。こないだ
モノクロフィルムをスキャンしたとき、初めてココをあれこれ弄ってみてその変化を楽しんだ。
それはまるで、印画紙を選び、露光時間や液温を調節し、上がりを硬調/軟調と決め分け
ていた暗室作業そのものだった。そのときの懐かしい興奮が再び蘇ってくるようだった。
あちらの書店に立ち寄っていればそこで見つけて手に取っていただろうが、ここで出逢って
奇しくもそのページを開いたことに、何か行きがかり以上ものを感じ、買い求める。
間もなく閉店時刻と告げる中、エスカレータでB1まで下りると西友。まだレイアウトがアタマ
に入っていない店内に、まさに放り出されたような塩梅。キャリーを探し次いでチェスターを
載せ、納豆売り場を目指す。例の騒ぎが一段落した今、欲しい銘柄は何でも手に入る…と
思いきや、お気に入りの「納豆一」はひきわりの2コ入りしか置いてなかった。代わりを探す。
上階のパルコでは点在するキャッチィな店が人の流れを息づかせていたが、地下はまるで
往時のダイエーのようだった。23時まで開いていることだけが取り柄のような。
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十数年ぶりに会社で完徹。…十数名で乗り切った。
24時間で爽健美茶を四本…残り五つのうち四つが集まった。
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