青ガエルとマッコウクジラと
今まで東急沿線に暮らしたことはないが、乗る機会は比較的多かったと思う。
子供の頃初めて乗ったときの記憶に登場するのが、この青ガエルだ。
当時暮らしていた三鷹でお馴染みの電車といえば、吉祥寺で乗り降りする"国電"中央線の
オレンジかカナリアイエロー、又は京王井の頭線の(当時そんなことは知らなかったが
ステンレス地の)銀色のヤツだった。
その井の頭線と似た顔つきの二枚窓(やはり当時そんな呼び名は知らなかった湘南型)で
全く色違いの全身緑ずくめの電車に乗ったことが、幼い記憶に強く残った理由ではないか。
断片的な沿線風景と「目黒のおばさん家」というキーワードと、掘割のような山手線目黒駅
のホームに立った印象を繋ぎ合わせると、東横線ではなく目蒲線(現在の目黒線)だったと
思う。
大手鉄道会社で一線から退いた車両が払い下げられ、全国各地で余生を送るケースは多い。
だが、塗り替えられるどころか広告で埋め尽くされることもなく、"そのまんま"で走っている
というのは珍しいんじゃないだろうか。これならば、"異境の地"でばったり出逢ったときに湧き
上がる懐かしさも際立って一入だろうと思う。
松本から安房峠へ向かう野麦街道で、トタン板のような車体側面の襞襞に無理やりペンキを
塗り込められ、艶消し厚化粧に仕立てられた電車が道沿いを往くのが視界に入り、不審に
思ったことがある。…何度も何度も往き過ぎるのを目にするうち、ようやく、あの井の頭線の
ステンレス電車だったと判り、甚だしく幻滅したw
磯牡蠣を食した昨夏銚子の郊外で、踏切り待ちの目の前を過ぎった垢抜けない三色塗りの
一両編成が戴くパンタグラフが、いかにもとってつけたようで気になった。よくよく目を凝らすと
中野新橋時代の生命線、丸ノ内線方南町支線で乗り慣れた元銀座線車両だった。
このときの不思議な脱力感は、今でも忘れられないw
この青ガエルも、鄙びた装いに塗り替えられ、湯田中温泉へ向かう果てしない田園風景に
何とか染まりながら走るのを見たことがある。一方、同じ風景の中で出逢った元日比谷線の
マッコウクジラ、赤帯一本巻いただけのほぼすっぴんだったが、周囲から妙に浮いていた。
ところが地下区間ではやはり面目躍如なのだった。
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