ヤツが生きていた
九日前の夜、何の前触れもなくヤツからメールが届いた。「□□です。憶えてますか?」
そりゃ勿論憶えてる!…いや、正確に書くなら、記憶の奥底に沈んでいたヤツのことが、
その名を目にした瞬間、すぐ間近にぽんっ!と浮かび上がってきた…といったところか。
ヤツと出会ったのは、ちょうど二十年前の今ごろだった。
第二外国語の選択によって振り分けられた大学一年の同じクラスに、たまたまヤツはいた。
最初のクラス全員の自己紹介のとき、ヤツは僕と浪人年数が同じ、すなわち同い年である
ことと、僕が筑豊から移った後に一年半を過ごした愛媛県の出身ということを知ったが、
それらの共通点のほかに、特に近しいものを感じたわけではなかった。
「人付き合い不器用なのに会話に割り込んできて主導権を奪った挙げ句ハナシがオチない」
ほどなくして僕は、ヤツに対してそういう評価を与えた。尤も、それは単なる他人事では
なく、似たようなモンだった当時の僕wから見ても明らかにそう感じられた…といった、
言うなれば"程度問題"だったのかもしれない。
ある日、受講したいと願っていたゼミの新入生向けのデモ講義があと何回、いつ開かれる
のか、早くから仲良くなっていた連中と語らっていたところ、前の席に座っていたヤツが
唐突に振り返り、例によって、間合いを読まずに割って入ってきた。
出会ってから一週間余り、早くも"敬遠"の座に担がれつつあったヤツの十八番の振る舞い
だったが、このとき初めて、その口から最も知りたい重要な情報が語られた。
翌々日のデモ講義がその最終回なのだと…。
おかげで最後のデモ講義に滑り込めた結果、晴れてそのゼミを受講することになった僕は、
そこに集った連中やそこから繋がった連中との出会いを得、芝居に半身を差し入れる傍ら
学習塾講師として過ごした季節を経て、今なお続く友人関係の中に身を置いている。
当時から、そのきっかけを作ってくれたのはヤツだという意識は僕の中にあったし、最初
その輪の中にヤツもいた。しかし、いつしかそこからフェードアウトしていった。
元々、国家公務員上級職を最も多く輩出する学府を志していたところを挫折した挙げ句、
畑違いの私大文学部に身を置くことになったヤツは、肩身の狭い思いを飼い馴らすことが
できずにいた。卒業も間近になった頃、突如として司法試験受験を宣言したのだった…。
その後、僕の暮らしも場所も次々と移り変わる中、ヤツは、上京したときに借りた下宿に
引き籠もり続けた。幾度か連絡を取り合ったり飲んだりはしたが、だんだん間遠になって
いった。最後に顔を会わせたのは、確か8年ほど前。池袋で、芝居の打ち上げなどでよく
通った安居酒屋に入ってみた。そこは当時とまるでおんなじで、僕は色々と移り変わって
いて、でもヤツは、まるで変わっていなかった…
九日前のメールは、和光での修習生暮らしがはじまることを告げるものだった。
池袋で飲んだ後間もなく下宿を引き払い、故郷で雌伏の日々を重ね合格を勝ち得たらしい。
心底嬉しいと心躍ることはめっきり少なくなった気がするが、その夜は違った。
ヤツはきょうから和光にいる!
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