日本橋川
確か五、六歳の頃、母に連れられて、日本教育会館か共立講堂辺りで催された子供向けの
芝居か何かを観に行ったときのことだと思う。恐らくは東西線の竹橋駅から地上に上がって、
少し歩いたところに架かる橋の上まで来たところで僕は、硬直して動けなくなった。
昼間にも関わらず辺りは薄暗く、堪えがたい異臭が立ち込め、視界の片隅にどす黒い水面
が見え隠れする。この世の終わりのように思われたその光景を直視することなどできず、
目を背けたままその上を渡り行くのはさらに受け容れがたく…、だが結局は手を引かれて
ほうほうの体で渡り切ったのだろうか。その後に観たはずの出し物も含めて記憶にない。
今思えばそれは、高度経済成長期にアオコやスカム(浮上汚泥)だらけで顔を背けたい
ほどだった日本橋川だった。当時と変わらずこの川の上空を覆って走っている首都高都心
環状線を、特に何の感慨もなく昨日も通過したが、あの当時、顔を背けずにはいられない
川はあちこちにあった。当時住んでいた三鷹市の一角を流れる仙川の上流付近にも、僕に
とっての"この世の終わりの光景"があった。"橋の上に立てない"という、軽いトラウマに
見舞われた時期もあったと記憶している。物心ついた頃から水洗トイレが当たり前だった
とはいえ、神経質な幼児だったのだろう。
その後、小学四年から二年余り過ごした田川市後藤寺の自宅周辺に下水道は整備されて
おらず、近くを流れる川の水や砂は、閉山した炭鉱がかつて流していた粉炭混じりの排水の
せいで黒く染まっていた…。つまりは「場数を踏んだ」ということだと思う。
そういえば数年前までは、水辺の近くに暮らすことに対しても抵抗感があった。
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年を取るとモノの見方も変わる…
http://blog.livedoor.jp/tdm1994/archives/50645152.html
Posted by: USHIO | Mar 04, 2006 02:04