有形文化財
一昨日発行の官報をパラパラ見ると、新たに登録された"有形文化財"の一覧が文部科学省
から告示されていた。
その一覧を流し読みしてゆくと"木造…""石造…""土蔵造…"といった、いかにも神社仏閣や
古民家然とした建造物に混じり、"鉄筋コンクリート造"の公共建築の一群も目に留まる。
…しかし吃驚したのは、そこに「名古屋テレビ塔」とあったことだ。
初めて、名古屋テレビ塔に興味を感じた。戦後、1953年にテレビ放送が開始されたことは
知っている。その直後に建てられたとしても、まだ50年ちょっとしか経っていないはずだ。
文部科学省の公式サイトは未更新のまま、文化庁の方は何だか重くてサッパリなのだが、
3月半ばに文化審議会が文科相に答申した内容に沿ったものらしい。全く知らなかった。
【1954年に完成。高さ180メートルで、一つの電波塔をテレビ各局が共用する
「集約電波鉄塔」として日本で初めて建設された。】というのがプロフィールだ。
官報告示の一覧表で冒頭に掲載されている"函館大手町ハウス"を名に戴くこちらのBlog
では
【一九五四年建造で、テレビ放送用電波塔としては国内最古】とされている。
数日前に思い出したインド料理店のある麹町の、日本テレビ旧本社ビル玄関の傍らに、
放送開始当初に用いられたという自社専用送信鉄塔の、その先端部分だけがモニュメント
として鎮座していたが、あれは今、どうなっているのだろう?
1958年12月に"集約電波鉄塔"たる東京タワーが稼動するまで、東京周辺では極端なハナシ
「受信したい放送局の数だけアンテナが必要」だった…と、確か"プロジェクトX"で見た
ような気がする…
それと全く対照的な名古屋テレビ塔は、いわば"強権発動的"に計画性を持って戦後復興を
推し進めたと伝え聞く名古屋の、当時における一つの成果だったのだろうと思う。
"Xylocopal's Weblog"さんの「私的テレビ史 #2 小型潜水艦的中継車とともに」を拝見。
名古屋の街に立ったことのない僕は、テレビ塔がこんな銀色をしているとは知らなかった。
東京タワーの赤白の塗り分けを変更させた"航空法"(大展望台は別としてw)も、名古屋
は治外法権なのだろうか(笑)…と思いかけたら、上述の"Xylocopal's Weblog"さん曰く
【航空法で赤白塗装が指定される前に完成したためといわれている。】
指定されるか否かの"境い目"は一体いつだったのか…、これもまた調べ甲斐のありそうな
なさそうな(苦笑)命題だが、とりあえず、うろ覚えながら、この前後に再建されたはずの
通天閣は何色だったろう?これもやはり"プロジェクトX"で、東京タワーの設計者に頼み
込んだという下りがあったような気がするが、…どうやら記憶に間違いはないらしい。
すなわち、通天閣が東京タワーの後に再建されたのだとすれば、赤白に違いない…って、
広告満艦飾に隠れてよく判らない(笑)仮に赤白でも、コレじゃ航空法の指定を逸脱
しないだろうか?と余計な心配もしたくなる。それとも、高さなどの関係で適用除外か?
…それにしても、実際に真下から見上げたことがあるのに、なぜか色に関する記憶がない。
閑話休題
今回告示された有形文化財の中には、"登録有形文化財"という比較的新しい制度に基づく
ものが含まれており、名古屋テレビ塔もこれだ。先述の"函館大手町ハウス"さんによれば
【この制度は、歴史的価値のある古い建物をできるだけ残そうという目的のようです。
対象となる建物は、一言でいうと築後50年以上経っているということです。】
数年後、築後50年以上を経た東京タワーが、果たして、登録有形文化財となることがある
のかどうか。…僕はそのこと自体にはあまり関心がない。だが、もしもそうなった暁には
「大展望台は"Paint It RED!!"であるべきだ」と、繰り返ししつこく思うのであった(笑)
| Permalink | 0
「タワー / 飯倉 / 蔵前 / 新宿 界隈」カテゴリの記事
- 潮 匡人写真展「流街」、閉幕しました。(2023.05.21)
- きょうの四谷(2023.03.18)
- さっきの清澄白河(2023.02.28)
- 昨夜の西新宿(2023.02.23)
- 今夜の二杯目(2023.02.22)
Recent Comments