April 30th
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日曜に出張のため帰国し、今回は慌しくきのう
米国に戻っていった兄のお土産がコレだった。
"Hot Buffalo Wing"…どんな味なのだろう?
ソースのたっぷり絡まったお肉(牛肉か?)と
ペッパーソースと思しきビン入りの液体と
そして、…紛れもなく赤唐辛子。
食べてみたいのは山々だが、さすがに
ラージサイズを一人で開けるのは躊躇する。
もらったのは、狂喜乱舞して買い漁った
翌日のことだったし…(笑)
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この数週間ほど、友人たちと自分たちのコミュニティ(オートバイのオーナズクラブ)
に関することで話し合う機会が多くなっている。久しぶりのことだ。
数年前に比べ静かだというようなことを以前に書いた。ところが一方で、ローカルな
アクティヴィティは健在だし、よく顔を合わせる友人はいるし、自分たちのこれからに
問題意識を感じて自発的に声を上げる人がいて、そしてそれに応える人がいて…、つまり
「前に向かって動いている」ように、僕には感じられる。
…そう感じられる"だけ"なのかもしれないが、僕にとっては、そう感じられることも含め
一切合財が"コミュニティとの関わり"そのものであり、すなわち「楽しい」のである。
子供だった頃はいざ知らず、そもそも僕の中に"組織"への帰属意識のようなものは希薄だ。
ところが、年々「人と出会うこと・繋がること」の大切さを思い知るようになってきた。
「人は独りでは生きられない」とかいう身も蓋もない正論はさて措くとして、この数年を
振り返るだけでも、出会いや繋がりによって僕は変わってきたし、救われたこともあった。
そういった諸々の"巡り合わせ"は、偶然ではなくて必然、すべて意味のあることに思えて
仕方がないのだ。しかもそれは、自分だけが一方的に受けたものではなく、自分と関わり
合ってきた人たちにとっても同様な、まさしく「お互い様」な関係がそこにあるということ。
キレイごとではなく、この"巡り合わせの妙"は大切にしたいと思うのだ。
誰だって、自分のことがイチバン好きだと思う。だが"自分という領分"を自分自身よりも
僅かでも拡げて捉えることができるとしたら、どうだろう?自分でもよく分かっていないが
そんな思いがあるようだ。
ソーシャルネットワーキングが花盛りである。僕自身も友人の紹介でmixiにいるのだが、
実はそこでの僕の振る舞いは、すぐ上に書いた心構えと裏腹、相当なオクテに属する(笑)
顔が見えて"安心な"コミュニティなら、僕にはすでに数年前に出会った人たちとの世界が
ある…と思ってしまう。すでに数年前から、僕たちはSNSに近いことをやってきていた
のかもなぁ、…とさえ感じてしまうのである。
だから、そういうことに食傷気味だとか、知ったかぶりがヘンなプライドに転じて…とか
いうことではない。そうではなく、だからこそオクテにならざるを得ない、というような。
きのう友人と話していて(メールで)改めて思い至ったのが、「インターネットというのは、
実はリアルな世間と同じ。いい人も悪い人もいて、宝も埋まっていればゴミも落ちていて、
落とし穴だってあちこちに空いていて、かつ、それらを悉くお手軽に、そしてディープに
"体験できる"…といったようなことが、どんどんどんどん明々白々になってきているのに、
そのことだけでも恐ろしいのに、ソレに対して無頓着、あるいは認識が稀薄なユーザーが
まだまだ大多数らしいのが、輪を掛けて恐ろしい…」といったことだった。
これを単なるヒトゴトと思ってはいけないのだろう。誰でも言い間違えるし読み間違える。
平気でウソを並べ立てる人だっている。ネット上にあるもの、その全てが事実ではない、
ソレが真実。なのに、そこまで深く信憑性を疑おうとする人は少なくなっているようだし、
一方、ウソを見抜ける人は「おれはひっかからねーしな」という感じ。
つまり、「それだけ人との付き合いが薄くなっている」と友人は看破する。
どんなに自らを御しているつもりでいても、周りや自分を見失い見苦しい言動に及んだり
することは、どんな人にも起こりうると僕は思う。
そんなとき、かつての僕たちのコミュニティには、そういう行いを諌めたりする役回りの
人が必ずいた。"ネット上のいざこざ"も、うんざりするくらい繰り返されてきた。当事者
同士が顔を合わせると一旦は"リセット"されるのだが、また暫くすると再び火が点いて…
といったことは、いわば日常茶飯事。それもこれも含めてコミュニティが成り立っていた。
ところが、ふと気がつくと、各々のプレーヤーが沈黙することが多くなった。
その思いは様々に違いない。皆等しく年齢を重ね、エネルギーを割くべき対象も変わる。
そのことは仕方がないのだろう。人生きっと死ぬまで過渡期なのだし。
ただ、気になることもある。
僕たちのコミュニティに広がりつつあるのは「"無視すること"に嫌悪感を抱かない」態度
なのではないか。しかもそれは社会の歪みの反映ではないのか…コレは友人の見解。
自分で判断つかないこと(わからないこと)は、何も感情を抱かなくなってきているという
表現に言い替えてもいいのではないかと。
数年間にわたり関わってきた"顔の見える"コミュニティにして、こうなのだ。幸い、僕も
その友人もほかの友人も、まだ投げてはいない。「何とかなるサ」で前を向いていられる。
…翻ってmixiに目を向けてみると、どうだろう。
前述の自負や体験を踏まえ、もとより僕には幻想みたいなものはないが、ごく身近な
友人の、さらにその先にいる友人へと至るには、垣根が想像以上に高く感じてしまう。
「その垣根のすぐ外側にも庭がある」という風にはなかなか思えないのだ。
若くして色々やり尽くした元SNS中毒の彼に見えていることと同じハズはないのだが、
"信じていること”は、割と近いような気はする(笑)
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僕はコレに回答していないが、結果は「ウォークマン携帯」が「W31S」をおさえトップ
になったそうである。
その4/15のアンケート記事には「ウォークマン携帯」こと「W800i」が改めて載っていた
し、まぁ…これがキャッチィになって結果にも影響を与えたのかもしれない。
でも何となく、我が意を得たり的な心持ちである。
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昨夜は気づくゆとりもなく家路に就いてしまったが、予告どおりにリボンは解かれていた。
久しぶりに見上げるすっぴんタワーだ。
またもや気になりだす。…やっぱ、白いんだよなァと(苦笑)
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数多くある災害・事故などの報道の中で、僕は鉄道事故の報道に接するのが特に苦手だ。
重さ数十トンの金属の箱が連なってひしゃげてる映像は正視に耐えない。毎朝毎晩当たり
前に乗っている路線で、もしも同じ目に遇ったらと思うと、毎度のことながらぞっとする。
しかも、繰り返し見聞きするたびに死傷者の数は増えてゆく。これもやりきれない。
三鷹に住んでいた小学校低学年の頃「車庫から電車が暴走し数十名が死傷した"三鷹事件"」
があったことを聞き、映像は見ないまでも戦慄を覚えた。それが最初だったろうか?
その後、実家にあった朝日新聞の縮刷版で目にした、三河島事件、鶴見事故の報道写真は
その被害規模もさることながら、当時の報道の"自主規制の緩さ"ゆえか、紙面に地獄絵図
を現出させていたと思う。
今朝、横須賀線内の人身事故の影響で、総武快速線は間引き&東京駅折り返し運転だった。
津田沼から乗った電車は、途中駅で長めに停車したりはしたものの、概ね順調に走ったの
だが、錦糸町を出発した途端にスピードが乗らなくなり、地下線に潜るトンネル入り口で
ついに停止信号により立ち往生。"終点"東京駅に近づき、前方に何本か列車が滞っている
のが道理なのだから、まぁ仕方がない…とまで、悟りきった心境にはなれなかった(笑)が、
折り返し列車を三本やり過ごしただけで動き出してくれたので、何とか"想定内"に思えた。
結局、東京駅には三十分の延着となったが、日頃から設けておいた時間的アローワンスと
フェイルセーフ手段のおかげで、周囲を追い抜いてゆく人々ほどに殺気立つこともなく、
何とか定時五分前には出社。
心で慌たところで、カラダはソレについていけないということを、カラダそのものが思い
知って以来、少しずつ、そのことが考え方や行動にフィードバックされてきたようだ。
もちろん、電車にはいつも時間どおりに運行してほしい。いや正直に言えば、早く目的地
に着いてほしい。それは山々だが、今朝の総武線は"想定内の遅れ"だけで済んでくれて
本当によかった、と思えるなら何てことはない。
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通常の暴君ハバネロを食べていて「イタい」と感じたことはないが、さすがにコイツは
喉の奥が暴力的にイタくなる(苦笑)
でもやっぱりウマい。
でもあイタたた(>_<)
額から汗も落ちてきた。
あぁ首筋にも…
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今や「ラクだったよなぁ」と思い出すのみだが、昭和だった頃、和暦と西暦の相互変換は
アタマの中で一瞬なのが、僕にとっては当たり前だった。
「生まれ年=昭和40年=1965年」という基点を拠り所にできて計算しやすかったのだろう
と思う。「東京オリンピックと新幹線はボクの生まれる一年前…」という風な"時系列"を、
アポロ11号月着陸の翌年、大阪万博が開かれた五歳のときには、何となく認識していた。
さらに、十歳を迎える節目の年、九州に移り住むというエポックメイキングな事件が
あり、以後「昭和50年=1975年」という区切りを強く意識するようになったのだと思う。
気がつくと、昭和←→西暦に限れば、自由自在な"変換テーブル"のようなものが、アタマ
の中にできあがっていた。
「和暦+25=西暦下二桁」という"公式"が成り立つことを知ったのは、ずっと後のこと(笑)
その生まれ年ゆえ、ちょうど15〜24歳という最も"ケツの蒼い年頃"に重なった【80年代】
について、そのうちどこかにでも徒然に書いておきたい…と時々感じるようになったのは
この一年ほどのこと。でもきょうは、"サワり"と"プロット"だけだ。自らの感覚と記憶に
頼った、ごく抽象的なことしか書けない。
後々、掘り出せたリンク先を挿入したり具体的に追記したり、あるいは、別エントリーを
立ててみよう。
80年代当時、直前の70年代の風物の多くは揶揄の対象だった。生まれたての「ダサい」と
いうコトバを浴びせかけるにうってつけの"ネタ"的扱いが多かったのではなかろうか。
一方で、そのさらに前の60年代に対しては、リスペクト(モチロン当時そんな言い回しは
なかった)のみならず、音楽や映画や服飾などの引用(今で言うなら"リミックス"?)や
リバイバルがよく繰り返されるのを見かけたように、僕は記憶している。
斯くの如く僕にとって80年代とは、憑き物が落ちたように唐突に始まった【輝ける十年間】
なのだった(苦笑)
ところが、その後やってきた90年代においては、どうだったろうか?すでに"殿堂入り"を
した感のあった60年代はともかく、70年代は復権を通り越し、相当な"地位向上"を遂げた。
それでは、直前の80年代の扱いが相対的に下がったかというと、そうではないようだった。
貶められもしなかったが、特に顧みられることもなかった。単に「霞んだ」というような。
それは当時の世間が、終わったばかりの十年間に対し、「顧みる」というスタンスをまだ
持てなかった、というだけのことだったのか?それとも、バブルが弾けた後の虚しさが、
脳天気に過ぎ去った十年間から目を背けさせたということなのだろうか?…分からない。
それからさらに十年以上を経た現在に至ってようやく、"80年代モノ"とも呼ぶべき作品群
が目につくようになった気がするが、それ以前は、ほとんど見かけなかったのではないか?
「彼女が水着に着替えたら」とかを除いては…(観てない、予備知識だけw)。
たまさかTVで、竹の子族が群舞し、街を歩く青年男女が悉くマッチだったり聖子だったり、
あるいは奥田瑛二だったり小林麻美だったりする映像を目にして、冷や汗を流すくらいが
関の山だった。
あるいは、80年代とは、70年代をいわば否定することで「輝いているように見えた時代」
に過ぎなかった、と言うこともできるのか…
そもそも、西暦を10年単位で区切って、一括りに"〜年代"と呼び習わして振り返るという
行為自体が、80年代以前の日本で一般的なことだったのかどうか、僕は知らない。ただ
言えるのは、僕が60年代や70年代を初めて「顧みた」のは、80年代だったということ…。
20世紀の米国において、1920年代を「ローリング・トウェンティーズ」とか名づけて定義
して以降、"decade"という括りで世の中を俯瞰する視点が一般的になった…とか何だとか、
コレは85年暮れあるいは86年正月頃、駿台予備校で受講していた「高橋の英文解釈特講」
あたりのテキストにあった論文で読んで知ったのではなかったか?
…確か、"rolling"じゃなくて"roaring"とかだったような…
どんどんどんどん、とりとめがなくなってきた
きょう突如として、80年代に対する想いがほとばしり出てきてしまったのはこの記事を
読んだのがきっかけだった。20年も経つと電車も全て入れ替わってしまうのか。
この電車が山手線を走り始めたのは、僕がちょうど駿台に通っていた頃で、中野新橋から
御茶ノ水まで丸ノ内線でスルーな毎日だったその当時にはあまり馴染みがなかった。
その翌年大学に通い始めると、これに乗ることも多くなった。たいていの場合は、二駅か
三駅で降りたり地下鉄に乗り換えたりだった。
一度だけ、自主制作映画の打ち上げか何かでまだ陽があるうちからしこたま呑んで、泥酔
状態で乗り込んだことがあった。そのときは座席で左右に揺すられながら、少なくとも三周は
乗ったと思う(笑)
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ヨハネ・パウロ二世の前のローマ法王が誰だったかは知らない。四半世紀以上前から在位
していたワケだから、「物心ついた頃から…」と云ってはもちろん大ウソになる(笑)…が、まぁ
それに近い。それ以前の知識は欠落し、とにかく「ローマ法王=ヨハネ・パウロ二世」とアタマ
の中には刷り込まれている。
どうやら一ヶ月余りの在位で死去した一世の跡を襲ったという事情はあったらしいが。
今朝のニュースで新ローマ法王の名はベネディクト十六世と聞き、即座に「名跡」とか
「襲名」とかいうコトバを、改めて思い浮かべた。もとより僕はカソリックではないし、聖書に
関する知識も乏しいが、"聖人"や"使徒"にあやかって名を戴くのであろうという見当は
何となくつく。
とはいえ、新法王が「十五代も続いた名跡を襲った」事情や背景には、興味をそそられる。
仮に、今回のコンクラーベで、欧州圏以外の出身者が選ばれていたら、どうなったんだろう?
因みに最初のリンク先にも書かれているが、"カトリック中央協議会"側は「ローマ教皇」と
呼んで欲しいのだそうだ。
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日曜の夜中、…日付が月曜に変わった頃から、ある条件の下ではこのBlogが表示できない
状態になっていた。
"ある条件"とは"Sigmarion3のIE5.5"。もとより推奨ブラウザではないのは承知の上だが、
それまでは、少々の不具合(せいぜいカレンダーの"はみ出し"程度)は伴いながらも、一応は
使えていたのだ。それがなぜか、その頃合いを境にして、急に言うことを聞かなくなった。
ココログの管理画面やその他のWebなどの表示や動作には問題ないのに、どうしたことか、
このBlogだけが読み込めなくなったのだ。
最初、リロードしても真っ白画面からなかなか復帰しなかったので、一旦読込みを中止し、
ほかの画面からこのBlogへのリンクをタップしてみた。…するとBlogや記事のタイトルなどは
表示されるがそれも途中まで、「(残り14項目) 画像 …」とかステータスバーに出たままで
固まる。
こんどは「ファイル名を指定して実行」でURLを手打ちしてみると、さっきと同じ程度までは
表示されるが、どこかのキーに触れた拍子にブラウザそのものがオチる…その繰り返し。
バージョンアップ後に発生していた現象の終息宣言が徐々に出つつあった矢先、
「はて?障害復旧のあおりで、何か"とばっちり"を被ったか?それとも、正式に"足切り"
されてしまったのか?」と疑う気持ちになったのも無理はない。
とはいえ、苦情トラックバックしながらエントリーを書くことにもいい加減飽きた(苦笑)ので、
きのう一日、騙し騙し様子を見ることにした。…だが、折に触れBlogへアクセスを試みても
状況は変わらず。
そして帰宅後「さぁて、どうしたものか…」と考えあぐねるのもメンド臭く、こんなときにこそと
ホットスタンバイ状態に仕立てておいたTカーにSDメモリと無線LANカードを挿し替えて
立ち上げ、"お気に入り"からアクセスしてみる…と、呆気なく表示された(苦笑)
きっかけや原因は不明なのだが、どうやら、こちらの環境にのみ依存した障害だったようで、
お門違いのクレーム表明をするハメにならなくてよかったと思う(苦笑)
使い始めて以来一年と八ヶ月、ほとんどノートラブルといっていい状態で日々を送ってきた
Sigmarion3に初めて発生した、不具合らしい不具合だ。このTカーがあまりに快調なので
うっかり忘れてしまいそうになるが、近いうちによく調べて、"工場出荷状態"に戻してみて
もいいかもしれない。こないだのリストアのことを忘れてしまわないうちに(笑)
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金曜の夜、見納めだと思いながら帰宅した。
なのに、週明けの出勤途中に見上げたら、大展望台にはリボンが仕込まれたままだった。
小雨の降り始めた帰りがけに見上げたら、なんとリボンは点灯されていた…。
好評につき1週間延長決定!なのだそうだ。
…好評なんだろうか?(笑)
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どのみち、まだ九ヶ月弱なのだよW21Sに機種変してから>じぶん
カメラには惹かれるとしても、とうていリーズナブルな価格で手に入れることはできない。
(このテの精密電子機器が二万円台という"破格値"で販売される事情は重々承知の上w)
使えない音楽プレーヤー機能のことが気にならなくなる価格帯に入ってこない限り、
今はまだ手を出すべきじゃない…と考えるくらいにはじゅうぶん冷静だ今のところはw
そうこうしているうちに、コレをベースにしたCDMA 1x WIN版が出てくれないものかと夢想
してみたり。…そういう風にはいかないのが世の常なんだろうケドw
こんな薄いストレート型でこれだけの機能が実現されているなら、実に素晴らしいと思う。
その代わり、バッテリー容量が犠牲になっているかも知れないし、ディスプレイ解像度は
恐らくQVGAには満たないだろうと思われるが。
まぁコレは"展示機"だし、DRM機能の実装の仕方によっては魅力激減となる恐れもある
が、このまま国内向けに出しても結構イケるんじゃないか。ぃゃ、きっと僕は買うと思う(爆)
堂々とMP3に対応している一方、この記事ではATRAC3には一言も触れられていないのも
面白い。
この"ウォークマン携帯"の発表を知ったのは、W31Sの流出情報を目にしたあとだ。
この情報の時点では、"ATRAC3限定"や"上限128MB"といったマイナス面を窺い知る
ことはできず、うっかり僕は、W31Sに対して、この"ウォークマン携帯"の機能を投影して
イメージしてしまったのだった(笑)
そんなことより、コッチが気になりだしている。契約事務手数料キャッシュバックなどは
当たり前としても、契約期間引継ぎで長期割引適用というのは嬉しい。
六月末までに、魅力的な音声端末あるいは8x対応のCFカード型端末が登場した暁には、
FOMA(のカード型)に転用しようかどうかと考えあぐねていたP-doco?の身の振り方が
目出度く決まることになる。オートバイ盗難に怯えていた五年半前、サービス開始当日に
申し込んで使い始めたが、幸い役に立つこともなく今日に至り、最近は電池切れのままで
どこかに仕舞い込まれている(苦笑)。探し出すのにも苦労するだろうが見つけておかねば。
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さっき、スクロールが劇的に軽くなったことに気づいた。
個別記事ページを表示させたらコメント欄の不具合も解消。
告知もされていた。…が、今入力しているSigmarion3のIE5.5.では、
新規投稿時の「記事の内容」欄が極細タテ長のままだ...orz
→22時を過ぎた時点で、コレも解消された。
よく見たらコレは自宅環境【FireFox1.0.2(WinXPHome)】でのみ起こっていた現象だった。
フシギだ(笑)
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そういえばこのリボン点灯は17日までなのだった。
さほど気にかけていたわけでもないが、週が替わると
見慣れた風景の一つもまた変わるということか。
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「ココログスタッフからのお知らせルーム」宛て苦情(要望)トラックバック その4
きょうに至るも「バージョンアップ後に発生していた現象の解消について」という告知なし。
月曜日の追記に加えて、さらに付け加えておく。
(8)個別記事を表示させた状態では、コメント記入欄までしかスクロールできない。
【IE5.5(WinCE.NET 4.1)、IE6.0SP1(WinXPHome/2000Pro)】
・コレと(3)により、IEではコメント記入が不可能な状態である。
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昨夜久しぶりにCSSをイジった結果、ひとまずレイアウトは、メンテ障害以前のソレに
パッと見(笑)近づいた。とりあえずカレンダーが、右サイドバーの最上部に戻ってきた。
だがよく見ると、ブログタイトルのフォントは二回りほど小さくなったし、元は#cccccc
だったサブタイトルのフォントカラーは、ブログタイトルと同じ#ffcc33になってしまった。
バナー写真付近の左端にのみ、中途半端に0.5pxくらいの幅のグレーの筋が見える
のは、元々左端全体に15pxの幅に設定しておいたボーダーが、ココにだけ僅かに
効いているのだろうか?
さらに、上端と右端にも3pxの幅でボーダーを設けておいたハズだが、これらは全く
見えなくなってしまっている。
エントリーの日付とタイトルのフォントタイプ・サイズ・カラーは、CSSをイジリ始める
以前の、初期設定に戻ってしまったかのようだし、本文やフッターのフォントタイプも
プロポーショナルなものに戻っているようだ。…まぁコレも、ある意味新鮮だし、何だか
コッチの方が読み易いような気もするが(苦笑)
ナニを隠そう、これらはいわば"棚ボタ"な現象の賜物なのだ。きのうアップしたCSSで
手を加えた箇所といえば、IE5.xでカレンダーの右端がケラれないようにするための
設定のみだったのだ。
…尤も、コレはうまくいってない(爆)のだが、コレ以外では、空行や空白を詰めたりした
だけなのである。それをアップロードして、サブタイトルに続く新しい"呪文"として記述
したら、こうなったのである。つまり"呪文"が効いてない箇所がいくつかあるということ。
最初「アレぇ?」と思って、それまでの一つ古い"呪文"に戻してみたのだが、現在見えて
いるのと全く同じ状態のままで、元には戻らなかったのだった。
つまり「"呪文"を入れ替える」だけで、メンテ障害の一部は自ら復旧できたということ?
それのみならず、"呪文"が効かない箇所まで露呈してしまったということになるワケか?
今回の障害を契機に色んなTIPSブログを参照したところ、フツーに見かける裏技だという
ことを知ったが、コレが公開された約一年後に僕は、書店で立ち読みした分厚いTIPS本で
初めてコレを知り、狂喜乱舞して財布のヒモを解き放ったのだった(苦笑)
僕が唱えている"呪文"はコレとは少し違うのだが、コレの方が効くのだろうか?それとも
今回のTypePadバージョンアップで、"呪文の霊験"にも翳りが見えたということなのか?
僕には判らない。
あるいは、外部CSSをアップロードしただけでは反映しきれないスタイルが元々あったのを
どこかの設定をイジることで実現させていたのか?それとも、さらなる裏技か何かをTIPS
本で見つけ、ソレを僕は適用していたのか?
…思い出せない。平日夜の片手間な作業では検証し切れなかった。
きのう「数ヶ月ぶり」と書いたが、CSSを最後に大幅にイジったのは、二ヶ月ちょっと前、
ケータイで閲覧し易くするため右サイドバーのみの二列構成に改めたときだったのだw
にも関わらず、アッという間に忘れ去ってしまっている。日々繰り返し使われない能力は
やはり身につかない…というだけのことであればよいのだが(苦笑)
四の五の云わずに、現在の「プラス」から「プロ」にプラン変更すればラクに解決しそうな
気もするが、今のところはまだそうしたくない。
それにしても、今回の障害のおかげで改めて色々と学んだことも多いし、「思い出そうと
努力する機会」も提供された。そのことだけは感謝してもいいかもしれない。
「お知らせココログ」の現時点での最新ネタ【トラックバック野郎】を僕はまだ利用
したことはないが、ココ数日、必要に迫られあちこちにトラックバックしまくりだもの(笑)
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現在、メンテナンス障害は復旧していないし、表面上は何の動きも見られない。
待つのがいちばんラクなのは分かっているが、動きが見えないのがどうにも癪に障るので
数ヶ月ぶりにCSSを触ることにした。Sig3のIE5.5でカレンダー表示をマトモにすることも
ついでにできるかもしれないし。
…修正を書き加えたCSSをアップロードしてサブタイトルの呪文も書き替えてみたのだが、
まだなかなかうまく行かない(苦笑)
非公開のテスト用ページで試してみたところ、右サイドバーのカレンダーはハミ出たまま。
ところが、カレンダー上部の大幅に余計な余白はない。どういうことだ。明るい材料か?
ところが、タイトルは狙った位置に収まってくれない。ダメじゃん。
ソレより何より、数ヶ月ぶりに向き合うと、色んなコツをきれいさっぱり忘れているぞw
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習志野の桜の花は今朝の地震で揺さぶられてあらかた散り落ちてしまった<ウソw
…だがそれにしても、花爛漫のこの数日間というもの、クシャミが増えている気がする。
ハナのアナの奥に、常にスースーとした刺激を感じるのだ。一昨日、爛漫たる千川通り
を満喫した際も、桜の薫りはあまりにも刺戟的で、その晩は酔いも手伝ってクシャミも
いや増すのであった。
以前にも書いたように、僕はスギ花粉症とは無縁だが、ハナや目がグズることはよくある。
そのきっかけは、風や埃であったり様々なのだが、ひとつだけ、"季節的な傾向"があった
ことに思い至るのが、そういえば、毎年この時季なのであった。
…"サクラ花粉症"なのだろうか?友人の中にもそういう人がいるのだが(笑)
ソメイヨシノが終わってそのうち八重桜に代わり、それも終わる頃までスースーは続く。
まるで、咲きはじめの頃のボワぁーっとした気分を少しずつカラダから追い出そうとする
かのように。
…そうして、五月連休の明ける頃、誰が何と云おうが大好きなクスノキの花の薫りで
正気に返る…そんな風に今年も、行く春を送りたいと思う。
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「ココログスタッフからのお知らせルーム」宛て苦情(要望)トラックバックその3
きょうの午前中にようやくバージョンアップ後に発生している現象についてという短い告知が出た。
そこに挙がった"発生している現象"とは…
(1)モブログ投稿時に、画像が大きく表示されてしまう
(2)記事のフッターがまれに HASH(0xb5a5418) といった表示になることがある
(3)両サイドバー付きレイアウトで記事表示列の幅を可変にしたとき、コメント投稿フォ
ームの名前、メールアドレス、URL欄が Windows IE で表示されなくなる
(1)と(2)については僕の環境でも発生したが、(1)は裏技のおかげでひとまず解決し、
(2)は、何もせずに解消された。(3)は、今ごろ気がついた(苦笑)
コレだけでは足りないと思うので、僕が経験している現象を追記させてもらう。
(4)ブログのレイアウトが勝手に変更されてしまった。
【IE5.5(WinCE.NET 4.1)、IE6.0SP1(WinXPHome/2000Pro)、FireFox1.0.2(WinXPHome)】
・タイトルの上と左に設定値以上の余白が作られた。
・右サイドバーのコンテンツ上部にも大幅な余白が作られた。
(5)「新規記事を作成する/記事を編集する」画面の入力欄が極小化された。
【FireFox1.0.2(WinXPHome)】
・「記事の内容」欄と「本文(続き)」欄ともに、全角10文字分の幅しか表示されない。
・「大きくする」ボタンをクリックしても、タテに大きくなるのみである。
(6)「記事を編集する」画面のボタンレイアウトが改悪された。
【IE5.5(WinCE.NET 4.1)、IE6.0SP1(WinXPHome/2000Pro)、FireFox1.0.2(WinXPHome)】
・「記事を削除」ボタンが「確認」「保存」よりも四倍くらい大きくなった。間違えて
クリックしてしまうミスを誘発しないかと懸念する。
(7)スクロールが重くなった。
【IE5.5(WinCE.NET 4.1)、IE6.0SP1(WinXPHome)】
・オンライン中でもオフラインにしても同様。
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「ココログスタッフからのお知らせルーム」宛て苦情(要望)トラックバックその2
きのうケータイからアップされてしまったキタナイ拡大写真は、此処録:モブログで
写真が拡大されないようにするを参考にさせていただいて修正することができた。
その際、"サムネイル""幅240ピクセル""ポップアップなし"をデフォルトに設定して、
何も気にせずケータイからアップできるようにしたつもりでテストしてみたらコレだ...orz
挿入されたタグを調べると例によって、見慣れない「img class="image-full"」とかいう
のは見つかるが、「width="240" height="320"」というタグはどこにもない。ところが、
画像挿入のボタンをクリックして確認してみると、さっきの修正時にはうまくいったその
設定は、ちゃんとデフォルトになっている。一体どういうことだろうか。
※さらにきょうになって気づいた重大な問題点
きのうまではSigmarion3のIE5.5でアクセスしていたので全く気がつかなかったが、
きょうWinXPのFirefox1.0.2で記事の作成画面を開いてみたらびっくり。
記事の入力欄が全角10文字分の幅でしか表示されないのである。
当然のことながら「大きく」ボタンを押す。
ところが、タテに大きく伸びるだけ...orz
ケータイの画面よりもはるかに入力しにくい。
一昨日から述べているレイアウトの崩れもそのまんま。
何とかならないものだろうか。
とりあえず、元の環境に戻してほしい。
それがムリなのであれば(きっとそうだろう)、一刻も早く手厚いサポートを望む。
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きのう、TypePadバージョンアップのニュースを見て、きょう予告されていたココログの
長時間メンテナンスはこの関連だろうかと踏んでいた。
ソレは当たっていたようで、当初7時から13時までの予定だったのが結局15時まで延びた
メンテナンス終了後、「たくさんの機能追加、機能修正が行われました。」と伝えるメールが
届いた。今のところ、作成画面の見てくれが一部変更されたことしか僕は認識していないが
それよりも、前回の長時間メンテ明けのときと同様、Blogのレイアウトに影響を及ぼす障害が
またもや出ているようだ。
17時24分現在、Blogタイトルの上と左の余白が、設定以上に大きくなってしまっている…
そういえば、右サイドバー上部にも大幅に余計な余白が…(苦笑)
★Apr 8th:追記
15時00分現在でも、この障害は改善されていないし、障害としての告知もされていない。
前回(12月)のときは、バナーに埋め込んだ"呪文"が関係しているかもしれないと思って
しばらく様子見をしたが変化が無く、シビレを切らしてCSSをちょっとイジった直後に復旧
したので、イジった分だけ手間だったのだ。
さらに気づいたのが、"固定リンク"の表示が"Permalink"に変わったこと。だが、ココだけ
日本語表示に戻すことはできないらしい(苦笑)…なお現在このリンクは機能していない。
タイトルが全て日本語からなる個別記事へのURLの振られ方も"post_連番"ではなくなり、
何か一意の英数字になったようだ。
そういえば、"カテゴリ名を現すリンク"も消えてしまっている。
だがソレより、さっきケータイから投稿してビックリ。「なんて写真がキタナイんだろ…」と。
よく見たら、QVGAサイズじゃなくて拡大されている。そのせいで普段気づかないアラが
見えてしまっているのだった(苦笑)
画像挿入箇所のタグを調べたら、見慣れない書き方になっている。手っ取り早く従来の
表示に直せないものかと、別の記事からQVGA表示をさせているタグのコピペを試みるが
うまくいかない。"お知らせココログ"に何か出ていないかと参照したら、どうやら大反響
のようである(脱力)
こりゃダメだ。…というわけで僕も、苦情トラックバック。
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このタイトルを見た刹那思い浮かべたのは、"骨折好き"な友人がノズルを向けられ治療を
受ける姿だった(笑)
インクジェット技術はプリンタだけにとどまらず、今後は様々な分野に応用されていくで
あろう…という展望自体は以前にも耳にしたことがあるが、このように具体的に書かれた
ものを読んだのは初めてかもしれない。
この記事に対してトラックバックしているいくつかのBlogでも一様に、興味津々という
取り上げ方だ。
その中でも秀逸なのが、冷静に"誤訳"を指摘した神谷研究室さんのこのエントリー。
僕は「"井戸"って何だろう?」とやや引っかかりながらも、「"培養池"のような実験設備
か何かのことなのだろう…」と"意訳"して、分かった気になっていたのだった(苦笑)
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空はいい塩梅にボワぁーっとしている。
果たして雁木坂はどうなったかと足を運ぶと
さすがに咲き進んではいる。
…が、ソレに追いつかないくらいに夥しく、花ごと散っている。
長いこと蕾のままだった影響なのだろうか…?
コレはサクラではなくツツジの植え込みなのに。
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12:30@雁木坂
ワァーい♪
でも、全体的にボワっと桜霞な石段になるにはまだちょっと…
早くも花ごと散り始めてる枝もあるしで…
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友人が出演する芝居を観に、池袋の東京芸術劇場まで行った。"学校廻り"ではない
本公演の舞台に立つのは初めてということだったが、板の上でちゃんと「生きていた」。
そのことだけでも収穫だったが、芝居そのものも、去年の夏に博品館で観た新撰組モノに
比べれば、まだ楽しめた。今回の舞台は明治初期だから、男優陣がマゲ結ってなくたって
ガマンして観ていられたし、主役と父役の二人が居並んだときの、とうてい同じ人間同士
には見えない顔の大きさのコントラストをはじめ、随所にスペクタクルも見られた(笑)
どこに座ってもよく見えるゆったりとした座席というのは、今となってはとても有り難い
仕合わせなのだ。だが、それゆえにスポイルされ、"味わえないもの"があることに対して
もどかしさを感じてしまう気がするのは、きっと、単なる感傷だろう。
せめて数千円払うのなら、「かつて花園神社に現出した"サーカス"の興奮をまた再び」
などという思いが、毎度ながらアタマの中をよぎる。だが、そんなことが叶うはずもない。
だいいち、仮にそんな場に身を置いたとして、僕はそれを受け止めることができるだろうか?
ところで、歩くと汗ばむ陽気の中、池袋西口広場には疎らに咲いている桜があった。だが、
行き帰りの車窓からはほとんど目につかなかったのではないか。錦糸町の先で地下に潜る
までの総武線沿線でも、丸ノ内線から望む小石川後楽園や茗荷谷界隈でも、この時期なら
お馴染みのはずの桜霞は皆無。
津田沼まで戻り、昨夕の桜を見上げても特に変化なし。このままだと、樹木としての"生理"
に悪影響が出たりしないのだろうか?たとえば、先に葉が出てしまうとか…
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きのうの帰りと今朝の行きに乗り会わせたラッピングトレイン「東京スピード号」。
最初に見た駅貼りの小さなポスターではよく判らなかったが、
車体のあちこちで踊ったりガン飛ばしたりしてるのは、たぶん(笑)…山田優だ。
最近はたまにしか観なくなったCXの"F1GP"で「ピットにいる優ちゃーん♪」とか呼ばれて
コメントを返してくるのはこのコらしいと思えるようになったのは、つい半年ほど前のことだ。
一年くらい前だったか、ケータイや口紅のTVCFなどでよく見かけるようになった頃などは
何しろ「…ん?なんで今ごろブレイクしてるんだろー篠原凉子が…」だったんだもの(爆)
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