キャリアが長いというのも大変らしい。
「柳に風、暖簾に腕押しで人生万事塞翁が馬」さんが、ケータイのことで悩んでいる。
ドコモというキャリア(Carrier)に愛着があるからというより、その長いキャリア(Career)
ゆえの悩みなのではないかと拝察する。すなわち「電話番号は変えたくない」。
だとしたら、いっそのこと来年夏に始まるらしい"番号ポータビリティ"まで待ってみたら?
と言ってさしあげたくもなる(笑)
果たして皆がハッピーになれるのか?という考察もあるしで、一体どうなるのか
見当もつかないけれど。
僕が最初に加入した"ケータイ"は、DDIポケット(現ウィルコム)のPHSだった。9年前の春。
「柳に風、…」さんの年数とさほど変わらない気もするが、それでもそこには大きな違い
があるのだろう。"貸与"だった頃の供託金はもとより、売り切り開始直後の頃の端末購入
費用やら加入料やらに対して、当時の僕は、財布の紐を緩める気は全くなかったのだ(苦笑)
そんな僕にとって、"安い早い旨い"と三拍子揃った"ポケット電話"はとても魅力的だった。
それでも最初期の頃は「"携帯電話"には繋がらない」といった制約などで臍をかんだ(苦笑)
こともあったが、東京23区界隈を動き回る限りにおいて"穴"に出くわすことは稀だったし、
当時、地下鉄や地下街でも使えたのはPHSだけだった。何より音が"固定電話で話すように"
自然だったことは、今でも強く印象に残っている。
"携帯電話"各社による値下げ攻勢が次々と出てくる中で、次第に"コドモのケータイ"的括り
に絡め捕られつつあったPHSだが、僕はそんな誹りとは"ほとんど"(笑)無関係に、H"という
呼称を使い始めた"ポケット電話"に対し、「待ってました」とばかり"高速データ通信デバイス"
という役割を担わせた。卵が先か鶏が先か、日々PDAを持ち歩くようになったのもこの頃から。
…そして今や、僕の"はじめてのケータイ"はAIR-EDGEのCFカード一枚になり果てたと(笑)
H"と呼ばれ始めた頃は、PHS市場の閉塞感が決定的になりだした頃でもあったと思う。
"インターネット標準"に近かったEメールの機能は立派だったが、それ以外のネットワーク
サービスに関しては、i-modeなどの充実ぶりに比ぶべくもなかったし、電話端末としての
使いやすさや"洗練"といったものにも縁遠かったように思う。
"携帯電話"と同じ土俵には上がれないことで、"実質的な競争"が成立しえない中、今後も
"使いたい端末・使いたいサービス"が出るという期待が持てなくなり始めていたその頃、
愛車TDMで出かけた群馬や伊豆の山中で、H"がやはり圏外だったことにも引っかかった。
そんな折り、auのC413Sに心奪われて契約してしまい今日に至るワケだが、きっかけは
「"山行きの装備"として持っておこう」というような軽い気持ちだったのだ。
十年前とはエラい違いだったものだ(大笑)
そんな僕は、"ソニエリの呪縛"から抜け出すことができないでいる。メモリースティック
というメディアのことを全く信用していないのは「柳に風、…」さんと同じだ。
ところが、僕にとってコレは"アバタもエクボ"なのである(苦笑)
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Comments
記事とは関係ないけど、こんな夜中まで起きてて明日の仕事どうすんだ、オレ(苦笑)。
Posted by: 柳 暖簾 | Feb 16, 2005 02:24