谷津散歩
…そして振り返れば、自宅周辺マンション群、サンペデック津田沼、さらにその背後には、
津田沼の駅と街が控えている。
南西の方角を目指して緩やかに下った先、京成線すぐ脇の丹生神社の丘には無数の貝殻
が散らばる。
標高6m程度のこの付近が"つい数千年前まで"海面下だった動かぬ証拠。
ところどころに、半農半漁だった頃の家並みも残る。
数十年前は海岸線沿いを辿っていた国道14号を越え、かつて海水浴場や谷津遊園の
玄関口として賑わったという谷津駅南口の商店街に至る。
なぜかきょうは閉めている店が多かったようだ。
ここを抜け、高架の京葉道路をくぐった先に谷津公園と谷津干潟が拡がる。
もう何もないと分かってはいても、足はまず西へと赴き…そして見届ける。
これほどまでに潮で満ち、さざ波まで立っている干潟を見たのは初めてかもしれない。
きょうは、カモの群ればかりだった気がする、…というか鳥のことはあまり見ていない(苦笑)
一度しまったケータイを取り出し、左から右へ何となく"パン"してゆくと…きょうは黒猫が
こちらを見ていた♪
急いでデジカメに持ち替え光学ズームで寄ったときには、すでにそっぽを向かれていた(苦笑)
これくらい翳ってくれれば、このデジカメでも逆光を直視できる。…ん?"周辺光量の低下"も
確認できる(笑)
「1934年の第二回日米野球の際に結成された"日本軍"がこの地に集い
研鑽を重ね、これがのちの"東京読売巨人軍"、ひいては我が国プロ野球の
母胎となったことを記念し云々…」
とかいう石碑が、もともと1966年に建立されていたのを1988年に習志野市が
再建したというややこしい来歴のモノ。
1925年から1982年までは谷津遊園だったこの地には、そんな時代の足跡も
残されている。
…だが果たしてそれは「"読売巨人軍発祥の地"碑」なのであった(笑)
当時微妙な立場に置かれていたであろう浪人中の長嶋茂雄の色紙が妙に目立って見えたのは、
当時のオーナー正力亨と同様サインのみで手形なしであったがゆえか?
再び標高10mを越え、自宅そばまで戻ってくる。
この"国電津田沼駅"時代の案内図、とりあえず"North-Up"で描かれているようだが、"街図"に
つきものの"デフォルメ"に加え、南口再開発前の姿なのでさっぱり要領を得ない(苦笑)。
だが四半世紀も昔からここにあることになるワケで、その意味ではたいへん貴重だ(笑)
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